「鳥獣戯画」は、いつ、誰によって、何のために描かれたのか・・・【情熱の本箱(326)】
「特集 謎解き鳥獣戯画」が掲載されている「芸術新潮2020年7月号」は、謎に満ちた鳥獣戯画に40ページ(関連コンテンツを含めると、実に84ページ!)が割かれており、見応え、読み応えのある一冊に仕上がっている。
この特集を見応え、読み応えのあるものにしている要素が、3つある。
第1は、現存する甲・乙・丙・丁の4巻合わせて全長44.328mに及ぶ「鳥獣戯画」の全ての絵が折り込みページで一挙掲載されていること。現物よりかなり小さいとはいえ、東京国立博物館に甲・丙巻を、京都国立博物館に乙・丁巻を見に行かなくとも、じっくり鑑賞できるのだ。
第2は、描画上のさまざまな謎が、その部分を拡大した絵を示しながら、説明されていること。甲巻の「カエルとウサギの弓道選手権。おや、キツネの尻尾が燃えている?」、「外掛けが決まって、やんややんや」、乙巻の「国産・異国産・霊界産。これが平安時代の動物図鑑だ!」、丙巻の「真似るなキケン」、「ぐるぐる眼が怖い、もう一つの鳥獣戯画」、丁巻の「ゆるゆるタッチの戯画エクストリーム」など、見所満載だ。
第3は、「ここまでわかった鳥獣戯画」という圧巻の章で、東京国立博物館主任研究員・土屋貴裕が、さまざまな謎について、丁寧に解説していること。
いつ描かれたのか――
●甲巻・乙巻が平安時代末期、丙巻が鎌倉時代初期、丁巻がそれよりやや後に描かれたとされてきたが、異論もある。甲巻・乙巻の制作は後白河院の治世の頃と考えられている。
●(前半が人物戯画、後半が動物戯画となっている丙巻の人物戯画の制作も平安時代にさかのぼると)思います。だいたい、甲巻や丙巻動物戯画のような擬人化された動物による遊戯絵巻が最初に描かれるのは妙ではありませんか? 丙巻人物戯画であれば、これは当時の平安京で実際に見られた場面ばかりです。町で遊んでいる人たちの様子をスケッチして、レパートリーとして持っておこうと考えた絵師がいたとしても不思議ではないでしょう。まず最初に人物戯画が描かれ、次いでそれを動物に置き換えた絵巻が描かれた――発想の順序として、その方が自然なように思うのですが。
●丁巻の作者はあきらかに甲巻や丙巻を見ており、それらに登場するモティーフを踏まえて描いているのでしょう。擬人化された動物が演じていた遊戯や儀礼を人間が模すという逆説性こそ、この巻の見どころのように思われます。
誰が描いたのか――
●鳥羽僧正や定智その人が「鳥獣戯画」の作者ということはないにしても、諸点を踏まえると、彼らのような人物こそ作者像として無理がないように思われます。すなわち、宗教界と宮廷社会の両方の画事に接し得る立場にあって、かつ仏教側に属するということです。「鳥獣戯画」は、そうした何人かの人物たちによって、私的に描き継がれた絵である可能性が高い。そしてそのような人物が活動する場所として、(「鳥獣戯画」が伝来した高山寺から程近く、宗教面で関係の深い)仁和寺は有力な候補だと言えるでしょう」。
何のために描かれたのか――
●「鳥獣戯画」は、筆者・鑑賞者・注文主のいずれもが不明。ふつうの絵巻と違って詞書(ことばがき)もないので、どういう意味があるのかもわかりません。明治以降、主に甲巻を対象として、200本以上の論文が発表されていますが、主題について定説はないのです。オーソドックスなところでは貴族や僧侶を動物に喩えて諷刺したというものから、安徳天皇など非業の死を遂げた人物の鎮魂のために制作された可能性を説く意見、寺院において童蒙書(子供向けの教科書)の役割をはたしたのではないかとする説までさまざまです。
●(まるで図鑑みたいな乙巻が何のために描かれたのかは)これまた甲巻同様、よく分かりません。けど、ほんとうに図鑑だったのかもしれませんよ。・・・さまざまな同種のものを集めた「類聚物」を作ろうとする志向が背景にあったのかもしれません。