『ムギと王さま』の挿し絵の、本を読み耽る少女は、やはり、著者のエリナー・ファージョンだった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1929)】
ナガサキアゲハの雄、アゲハチョウ、アカボシゴマダラ、ムラサキシジミの雄(写真8、9)、雌(写真10、11)をカメラに収めました。
閑話休題、私の一番好きな絵は、幼い少女が、本が詰まった天井まで届く大きな本棚を背にして、大きな本に腰掛けて、顔を本に埋めるかのような恰好で読み耽っている作品です。床にも出窓にも本が積まれています。これは『ムギと王さま』(原題『本の小部屋』)という児童書の挿し絵であるが、『本へのとびら――岩波少年文庫を語る』(宮崎駿著、岩波新書)で、この絵の存在を知って以来、私の宝物になりました。
この『ムギと王さま』(エリナー・ファージョン著、エドワード・アーディゾーニ絵、石井桃子訳、岩波少年文庫)という自選短篇集の著者、エリナー・ファージョンの伝記が『エリナー・ファージョン伝――夜は明けそめた』(アナベル・ファージョン著、吉田新一・阿部珠理訳、筑摩書房)です。
本書のおかげで、この挿し絵の少女がエナリーの少女時代を表現していること、苦労人で作家であった父親ベンジャミン・ファージョンの、家の至る所にあった8千冊の蔵書が、エリナーの創作の源泉になったことが分かりました。それだけでなく、恋愛に奥手であったエナリーが、生涯大きな影響を受ける3人の男性と出会った経緯も知ることができました。詩人のデドワード・トマスと出会った時、彼には既に妻と3人の子どもがいました。次がジョージ・アールで、教区司祭の息子で学識の高い人物だったが、またもや既婚の男性で3人の子持ちでした。二人は後に結婚します。晩年、アールが去った後、役者のデニス・ブレイクロックと出会います。エナリーは、まさに恋多き女性だったのです。
「ベンジャミン・ファージョンと娘のエリナーは多くの点で非常に似ていた。二人は共に生命力に溢れ、言葉を愛し、機知に富み、人間、演劇、音楽、食物、殆どあらゆることに尽きせぬ関心を抱いていた。しかし何よりも二人に共通するものは、文学を深く愛する心であった。エリナーは幼い頃を回想して、<洋服のない生活はなんとも思わないが、本のない生活は考えられなかった>と言っている。実際、ファージョン家は、子供部屋、書斎、寝室、食堂の隅々まで本が溢れ、8千冊にのぼる蔵書は、小説、詩、歴史書、伝説、戯曲等様々な分野にわたっていた」。
「とても小さい時分からエリナーは貪欲な読書家で、活字に飽きることがなかった。(兄)ハリーに負けたくないという競争心が、彼女を進歩させていったといってもよい。ハリーと同等に扱われていないと感じるとき、エリナーは<中身は違っても、平等がほしい>と言ったものだった。しかし読書の指導は、父親によって全ての子に平等に行なわれた。正式の、いわゆる良い教育を受けたことのない父親の知識は、桁外れていた。父親の趣味を解する子たちを持って、ファージョン氏が幸せだと言うなら、子供たちの方も又、こんな父親を持ったおかげで、家中に散らばる8千冊の本をいつでも読めるという幸運に恵まれたのである。<しかし、家じゅうのどの部屋よりも、本が、わがもの顔に振舞っていたのは、『本の小部屋』でした。それは、手入れをしない庭が、花や雑草のはびこるに任されているのにも似ていました。『本の小部屋』には、選択も秩序もありません。食堂や書斎や子供部屋の本には、選んで、整とんされたあとがありました。けれども、『本の小部屋』は、そのなかに、宿無しや流れ者、階下の整とんされた本棚から追われたのけ者、父が競売場でひとまとめに買ってきた包みからはみだした余され者、というような雑多な仲間をかき集めていました。がらくたもたくさんありました。が、宝はもっとたくさんありました。くずに、良家の方がたに、貴族達。本なら、どんなものでも、読んではいけないといわれたことのなかった子どもには、まるで宝くじか、たのしい掘りだし物の世界です。・・・<決して開くことのない窓、そこの窓ガラスを通して、夏の太陽が黒ずんだ柱と、その周りを舞うちりをじりじりと灼いていた。あの埃っぽい本の小部屋が、私のために魔法の窓を開けてくれたのだ。その窓から私は、自分の住んでいる世界とはまったく違う、様々な世界と時代を見ることが出来たのだ>。・・・真の読書家の例にもれず、エリナーは成長するにつれて、幼い頃の愛読書も捨てず更に手当り次第に、貪るように濫読をつづけていった」。
私が物心ついてから就職して家を出るまで、我が家の至る所に、書棚に収まり切れない父の蔵書が雨後の筍のように積み重ねられていたことを、懐かしく思い出しました。父は、休みの日は終日、平日は会社から帰宅すると和服に着替え、ずっと本を読み耽っていました。
「『本の小部屋』は、エドワード・アーディゾーニが挿絵を描いたが、彼は、エリナーの作品の挿絵を描いた画家たちのなかで、もっとも素晴らしく、もっとも深い理解を示した画家だった。彼の絵は、エリナーが独特の感性でとらえた、子供時代のもつ心地よさ、幻想性、不可思議さを、誰よりもよく表現している。グレイス・ホガースに宛てた手紙に、彼女はこう書いている。<秋に出る私の物語集のためのアーディゾーニの絵には、ほんとうに感動しました。ジョン・ベル(オックスフォード大学出版局の編集者)が言うには、アーディゾーニの仕事の中であの挿絵は最高の出来で、本人もそう思っているとのことでした。そして、先週末、それらの絵が私のもとに届いたとき、私は胸に熱いものを感じつつ、一枚一枚をめくったものでした。私が子ども時代について抱いている想いが、すべてそのなかにあるのです。今年は、いまから楽しみに待つことができるものが2つあります。『ガラスのくつ』の絵も、うっとりするような出来栄えですが、秋に出る物語集のほうは、もっと深みがあって、私にとっては、挿絵との共同制作という視点からみる限り、自分の人生でもっとも気に入った本ということになるでしょう>」。エリナーはアーディゾーニに感謝の詩文を贈り、二人は個人的にも友人となったのです。