拝啓 名高き騎士、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ殿・・・【山椒読書論(33)】
このほど、積年の願いが叶い、高名なる騎士、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ殿の拝顔の栄に浴し、衷心より光栄に存じております。
これも、『ドレのドン・キホーテ』(ミゲル・デ・セルヴァンテス著、谷口江里也訳・構成、ギュスターヴ・ドレ挿画、宝島社)なる書物の出現により実現したことにて、この書にも感謝の念を捧げたいと存じます。
この書物の美点は数多ございますが、3箇条に絞りご報告申し上げます。
第1箇条は、ミゲル・デ・セルヴァンテスの原作それ自身が内包している魅力でございます。去りし時代の騎士物語を耽読し、自分は勇敢な騎士であるとの妄想に取り憑かれた貴殿、背が高く、がりがりに痩せた貴殿は、「祖国のためにも、また自分自身の名誉のためにも、いまこそ自らが、遍歴の騎士となるべきである。そうして自ら鎧兜に身を固め、愛馬とともに世界を巡り、いにしえの名だたる騎士たちと同じように、どこまでも冒険を追い求め、数多の危険に身を晒しながら、ありとあらゆる不正を正し、その名を、騎士物語の世界に燦然と、そして永遠に輝かせることこそが、自分の為すべきことであると信じ」、人は好いが、ちょっとばかしおつむの弱い、そして小太りで主人思いのサンチョ・パンサをお供に、痩せた老馬ロシナンテに跨り、遍歴の旅に出られたのですね。
「その間も、サンチョの悲鳴は聞こえ続け、時々、塀の向こうに、放り上げられたサンチョの姿が見え隠れする。そのようすは、悲鳴を上げて宙を舞っている男が、もし自分の従士でなかったら、思わず吹き出してしまいそうなおかしさだったが、しかし被害に遭っているのは愛すべき従士。一刻も早く救出作戦を敢行しなければ」と貴殿が焦るシーンには、私も通勤電車の中にも拘わらず、思わずプッと吹き出してしまいました。その後も、何度、吹き出し笑いをこらえることに努めたでしょう。
8カ月間に亘り、抱腹絶倒の珍道中が続き、次から次へと思いがけない事件が発生するが、貴殿が旅の終わり近くで、「遍歴の騎士の物語には、必ず万人をして、心を楽しませ、胸をときめかせ、沈む気分を晴らしてくれるものがあるということじゃ」と述べていらっしゃることに、全面的に賛意を表するものでございます。
第2箇条は、谷口江里也なる訳者の腕の冴えでございます。原作の持ち味を損なわぬよう配慮しつつ、削る所は削るという手練れの訳・構成によって、テンポのよい、リズムのある文章に仕上がっているのでございます。文章の心地よさに身を委ねているうちに、446ページを一気に読み切ってしまったのでございます。
谷口の手になる「あとがき」に、「弱き者や愛する者のために、夢と勇気をもって闘い不正を正すという、文化の違いを超えて共感できる精神が強調され純粋化されて表現されている。このことも、『ドン・キホーテ』が世界中に訳されて、時代を超えて愛されていることと深く関係していると思われる」、「夢を生きてこその人間だという確信に満ちた二人の主人公がおりなすこの物語」と書かれておりますが、そのとおり、そのとおりと、何度も頷いてしまった私でございます。
第3箇条は、我々の想像力を掻き立てるギュスターヴ・ドレの挿し絵の迫力でございます。類書もドレの挿画を採用しておりますが、判の大きな本書の178点に及ぶ挿し絵は圧巻でございます。
思えば、貴殿の生みの親であるセルヴァンテスは、数奇な運命を辿りましたね。あの有名なレパントの海戦で銃弾を受けて負傷して左腕の自由を失ったり、本国への帰還途中に海賊に襲われ、5年間も虜囚生活を余儀なくされたり、仕事上のトラブルで投獄されたり、破産したり、そのことでまたまた投獄されたり、58歳の時、出版された『ドン・キホーテ』が評判となり、各国で翻訳されたり、その人気に乗じた偽物が登場したりと、本当に波瀾万丈の一生でございましたね。本書の第39話~第41話には、著者の敵地での牢獄生活の実体験が反映されているそうでございますね。
今後、何か嫌なことがあって落ち込んだり、希望を失いそうになった折には、本書を繙き、再びお目にかかりたいと考えておりますので、何卒、末永くお付き合いくださいますよう、伏してお願い申し上げる次第でございます。敬具