幕末に花開いた匂い立つ白い野いばらはどこへ・・・【山椒読書論(57)】
親しい友人から薦められなければ、この本を手にすることはなかっただろう。そうであれば、この一見、地味な『野いばら』(梶村啓二著、日本経済新聞出版社)という、不思議な魅力を湛えた小説の存在を知らずに過ぎてしまったことだろう。やはり、いい友は持つものだ。
フラワー・ビジネスで海外を飛び回る縣(あがた)和彦が、出張先のロンドンで、偶然、出会った分厚い革装のノートには、思いもかけない世界が広がっていたのである。
その手記は、150年前の1862年9月17日、当時の勤務地の香港にて、わたし(エヴァンズ)の手で、「この世には、二種類の人間がいる。すべての問いには答えがあると信じて疑わない人間と、この世界が答えの無い問いにあふれていることに黙って耐える人間と」と書き始められている。
英国海軍の情報士官のウィリアム・エヴァンズ少佐は、幕末の激動期の最中、英国と緊張関係にあった日本の軍事力に関する情報収集を、突如、命じられたのである。彼がこの江戸行きの命令を受けたのは、横浜の生麦村で薩摩藩の行列に遭遇した英国人一行が殺傷された事件の3日後であった。
英国公使館の警護を担当する幕府の役人・成瀬勝四郎との、表面は静かな情報戦が始まる。――「情報とは交際のことだ。一般にしばしば誤解されているように盗み取るものでもなく、暴くものでもない。知るべき情報のすがたは、よく冷えたシャンパーニュを酌み交わしたグラスの表面に知らぬ間に浮かぶ水滴や、茶を注いだティーカップの上にふと立ち上る湯気に似ている。勝四郎の側でも同様のものとしてわたしの存在を見ていることにうっすらとわたしは気付いていた」。
任務遂行に欠かすことのできない日本語の個人教授として、勝四郎の親戚に当たる武家の若い女・成瀬由紀が登場してから、俄然、物語は新たな展開を見せる。――それぞれの祖国が敵対関係にある二人だというのに、「(ユキに)会いたいと思った。このままここを飛び出し、夜を駆けてでも顔を見たいと思った。ふいに突き上げたその思いはめまいがするほど強いものだった」。――「嫉妬の苦痛と破滅の予感もユキと(菊合わせの)会場近くで落ち合った瞬間にどこかへ消え去り、ただ華やいだ場所で彼女と会える喜びがわたしを満たした。わたしはユキの先導に従って群衆の中へ分け入っていった。ときおり振り返るユキの笑顔が甘美なナイフのようにきらめき、わたしを刺した。菊花の清清しい香りが漂い、見物客は肩をぶつけるようにひしめき合いながら、出品された自慢の菊を批評しあっていた」。――「すでにそのとき、わたしたちは出口のない場所に迷い込んでいたのである。互いに互いを滅ぼす責務を背負いながら」。――物語のクライマックスは、もう、すぐそこまで迫っている。
一方、この作品には、「音楽」と「花」のテーマが通底している。――「音楽は花に似ている。音は生まれたとたんに次々と消えていき、とどめることはできない。しかし、楽譜という記号に変化することによってその生命は保存され、持ち運び可能なものに変化する。つかの間の春を終え、枯れ果てた花がその命の輝きを硬い種子に閉じ込め、長い時間を生き延び、生き延びるだけでなく何者かに運ばれて自由に世界を旅するように。楽譜が音楽の種子だとすれば、種子は花の楽譜であり、流れ着いた旅先でその生命は再び解きほぐされ、美しく蘇るのだ」。――「本格的な植物収集をする気も知識もなかったが、わたしの日本への素朴な憧れの大きな部分を占めていたのは神秘的な東洋の花々の幻影だったのである」。