中国から日本に渡来した茶碗たちに秘められた謎・・・【山椒読書論(65)】
陶器市をぶらつくのが好きな私は、日中文化比較論の衣装を纏ったミステリともいうべき『中国と茶碗と日本と』(彭丹著、小学館)の謎解きの世界に引きずり込まれてしまった。
本書によれば――平安時代の遣唐使・永忠によって中国の喫茶法が日本に伝えられた。永忠の茶は、唐代に流行した煎茶喫茶法であり、用いられた茶碗は唐代に流行した青磁茶碗である。12世紀に入ると、禅僧・栄西によって宋代の抹茶喫茶法が伝えられる。栄西は、抹茶を飲むための天目茶碗を持ち帰った。それ以来、茶の湯は寺院や武士の間に浸透していく。茶の湯の広がりにより茶道具の需要が高まり、特に中国の陶器や磁器が尊ばれ、磁器の青磁茶碗や天目茶碗が人気を博す。すなわち、唐物崇拝である。
しかし、室町時代中期に至り、潤沢な光沢を放つ青磁茶碗や、煌びやかに輝く天目茶碗より、出来の悪い雑器とされていた地味な珠光青磁(青磁茶碗の一種)を好む一群の茶人が登場する。村田珠光、千利休らの「侘び茶」によって、日本の製陶は独自の展開を成し遂げる。志野、黄瀬戸、瀬戸黒、織部焼などの茶陶の誕生である。すなわち、中国磁器を模倣し損なった「不良品」から、茶人は「日本的」な陶器を創り出したのだ。日本陶磁器と中国陶磁器の大きな違いがここから生じ、中国陶磁器の借用から新たな創造が生まれたのである。
私が、この本を上質のミステリと見做すのは、中国から日本に渡来した茶碗たちを巡る謎の追跡と論証が、シャーロック・ホームズ流の推理を思わせるからだ。
南宋から日本に伝世し、国宝となっている、青磁茶碗の中で随一とされる砧青磁が、生産地の中国では見ることができないのはなぜか? そして、誰が、なぜ、砧青磁を日本に持ち込んだのか?――著者は、この謎の解明に取り組み、遂に、日本に持ち込んだ人物を突き止める。
人智を超えた天の業とされる曜変天目(天目茶碗の一種)が、日本では国宝になっているのに、生産地の中国には残されず、完全に消失してしまったのはなぜか? これまた日本の国宝になっていて、優れた人為的技術の極致といわれる玳皮天目(天目茶碗の一種)が、中国に残されなかったのはなぜか? 「侘び」の始まりともいえる珠光青磁は、いつ、誰によって、そして、どのようにして日本にもたらされたのか?――といった謎が、著者の粘り強い追究によって、次々と明かされていく。
日本の陶磁器が中国文化と日本文化との融合であるように、この書は、著者の母国の中国古典文化に対する造詣と日本文化への探究心との幸運な融合なのだ。
「中国人の私には、この珠光青磁の美がわからない。中国のどこにでも転がっているような、雑器のような茶碗だと思える」、「そもそも私には、『侘び』というものがわからない」、「地位・名声・金銭をことごとく手に入れた利休の倹しさは、所詮、倹しさ気取りであるにすぎない」、「日本の陶工や茶人の情熱には、中国文化への憧憬と対抗意識があった。憧憬があるから中国文化を借用し、対抗心から新たな創造への意欲が生まれた。(利休の)黒楽茶碗は、宋の天目茶碗の借用から生まれた日本人の創造だった」、「『いき』は、私にとって最も難しい日本語の一つである」といった表白には、著者の研究者としての誠実さ、謙虚さと、中国文化の担い手としての矜持が窺われる。