榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

白村江の戦いで大敗を喫した日本は、唐に占領支配されていたという仮説・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3773)】

【読書の森 2925年7月23日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3773)

撮影助手(女房)が、ハスと風鈴が凄いらしいわよ、と言うので、東京・台東の不忍池へ(写真1~10)。ネムノキ(写真11)、セイヨウキョウチクトウ(写真12、13)、ムラサキルエリア(和名:ヤナギバルイラソウ、学名:ルエリア・ツベローサ。写真14)、ヤブカンゾウ(写真15)が咲いています。因みに、本日の歩数は13,889でした。

閑話休題、『天智朝と東アジア――唐の支配から律令国家へ』(中村修也著、NHK BOOKS)は、驚くべき一冊です。天智朝について定説を覆す仮説を提示しているからです。

7世紀に、強大な唐と新羅の連合軍に挑んだ白村江の戦いで大敗を喫した日本が、戦後、唐の侵攻に備えて、より遠くに位置する安全な近江に遷都するとともに、唐の律令に学び、国家体制を整備していったという定説は、『日本書紀』に基づいています。

これに対し、著者は『三国史記』、『旧唐書』、『資治通鑑』などの朝鮮・中国史料、最新の考古学知見を援用し、日本は唐の占領支配下にあったため、大王・天智は飛鳥を明け渡して近江に遷都せざるを得なかったという仮説を展開しています。

さらに、狭く何かと不便な大津(近江)への遷都を強行したことに、飛鳥の豪族たちの不満が高まっていたことが、天智死後の壬申の乱で大海人王子(後の天武天皇)側が天智の子・大友王子側に勝利した背景にあると主張しています。壬申の乱後、都は大海人によって飛鳥に戻されています。

なお、唐の占領支配は、唐が新羅に敗れて朝鮮半島から撤退したため、約7カ月という短期間で幕を閉じました。