榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

岩崎彌太郎は、なぜ、三菱財閥の基礎を築けたのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3781)】

【読書の森 2025年7月30日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3781)

野鳥観察仲間の藤岡啓子さんから、「野鳥はいない小さな美術館だけど、涼しさを満喫できる!」と薦められた、東京・足立の六町ミュージアム フローラを訪れました。水辺でツマグロヒョウモンの雄をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は11,985でした。

閑話休題、岩崎彌太郎は、なぜ、三菱財閥の基礎を築けたのか関心を抱いてきたが、『黒潮の海、積乱雲わく――岩崎彌太郎物語』(成田誠一著、東京都公園協会)のおかげで、その答えを得ることができました。

●彌太郎は、1835年に土佐の貧しい村の貧しい家に生まれた。
●江戸の安摘艮斎の塾での彌太郎の勉強ぶりは常軌を逸する集中ぶりであった。
●故郷で7カ月間投獄された彌太郎は、同房の商人から算術を学び、商売の機微を教えられた。
●土佐藩の長崎商会を任された彌太郎は、その2年間に、海運と貿易の現場感覚を体得する。
●彌太郎は、1歳年下の坂本龍馬とは肝胆相照らす仲であった。
●土佐藩の幹部となった彌太郎は、九十九商会を舞台に藩の財政に貢献する。
●1871年、彌太郎は九十九商会の経営を引き受ける。九十九商会は民間企業らしい顧客第一主義で活力ある活動を展開していく。
●社名を1873年に三菱商会に、1874年に三菱蒸汽船会社に変更。
●三菱は、1874年の台湾出兵に当たり、兵員・武器・食糧等の輸送に全力を投入することで、海運業界のトップに伸し上がる。
●彌太郎と同年生まれの福沢諭吉は互いに一目を置き合う関係で、慶應義塾出身の多くの人材が三菱で活躍した。
●三菱は、1877年の西南戦争で政府軍の軍事輸送を担ったことで、一大産業資本として発展する財政的基盤を築いた。
●彌太郎は、東京に3つの屋敷を購入。そのうちの1つ不忍池に程近い茅野本邸で胃がんのため50年の生涯を閉じた。

本書では、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で描かれた彌太郎とは異なる真実の姿が再現されています。