女の哀しさが惻々と伝わってきます・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3831)】
植物観察会に参加しました。フジバカマ(写真1~3)、ヒガンバナ(写真4~6)、シロバナマンジュシャゲ(写真7~10)、アメリカタカサブロウ(写真11)、ユウガギク(写真12)、アキノノゲシ(写真13)、ヒレタゴボウ(写真14)が咲いています。利根運河に架ける飛び石橋の工事が進んでいます(写真15)。因みに、本日の歩数は14,220でした。
閑話休題、『石井好子 沢村貞子』(石井好子・沢村貞子著、川上弘美編、文春文庫・精選女性随筆集)には、本当に、びっくりさせられました。
なぜなら、本場仕込みの華やかなシャンソン歌手と思っていた石井好子と、味のある芸達者な女優と見ていた沢村貞子が、二人とも、己の選んだ道を敢然と突き進んだ女性だったということを、本書に知らされたからです。
二人のエッセイは、そういった苦労話や自慢話とは無縁です。上質な短篇映画を見たような読後感が残ります。
●石井好子の「パリで一番のお尻」
パリの舞台で踊り終えた「私」は、仲間の踊り子に誘われて、夜通し開けている高級レストラン「アルザス」に、一週に一度は夜食に行くようになります。そこで、劇場の花売りのフランソワーズや劇場の女給のイルダたちとテーブルを囲みます。「イルダは、小柄で小ぶとりで、年増的魅力の持主だった」。「実際、女給という職業は哀しい職業だ。芸を身につけない女が、娼婦におちる一歩手前の職業だ」。
ある夜、イルダが私に、こう打ち明けます。『女給だけじゃ、暮しはたたないの。だから、好きでもない男と同棲してんのよ。お金のために、いやな男にしばられてんの』。
イルダを見かけなくなった頃、街角でばったり出会ったフランソワーズから、こんな話を聞かされます。『私、もしかしたら、イルダはベルギーの私娼窟に身を売ったんじゃないかという気もしてるの』。
●沢村貞子の「母の丸髷(まげ)」
「小さいころ、私は、縁側で髪を結ってもらっている母を見るのが好きだった」。「・・・私は色が黒いしお多福だから・・・。自分を、父に釣りあわない不器量な女、と思いこんでいた母の、たった一つの誇りは、この真黒な長い髪だったろう、と、いまの私はおもう」。
私が9歳ぐらいの時、朝、目をさますと、母が、もろ肌ぬいで、台所の流しにかがみこんで髪を洗っているではありませんか。昨日、丸髷に結ってもらったばかりなのに。どうしてこわしちゃったのと尋ねる私に、「『・・・丸髷はね・・・もうやめたんだよ』。なぜ、なぜなの・・・と、しつこく聞く私に、母は顔をそむけながら、低い声で、まるで独り言のようにつぶやいた。『・・・もう、おつとめはすんだからさ』」。そして、「それっきり、母は、二度と丸髷を結わなかった」と結ばれています。
どちらのエッセイからも、女の哀しさが惻々と伝わってきます。