榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ミトコンドリア・イブは存在しなかった・・・【MRのためにの読書論(239)】

【ミクスOnline 2025年11月21日号】 MRのための読書論(239)

唸った論文

すごい科学論文』(池谷裕二著、新潮新書)には、年間50,000本の論文に接している池谷裕二が「これは!」と唸った75論文が取り上げられている。

その論文の中で、私が「これは!」と唸った8論文は下記のとおり。

「アルツハイマー病」治療薬の先行き

レカネマブなどは脳内のアミロイドβは確かに減らすが、期待したほどの効果は得られていない。このことから、一部の専門家は「アルツハイマー病の主要な原因はアミロイドβ以外にあるかもしれず、治療薬開発戦略を根本的に見直すべきだ」と主張している。アルツハイマー治療薬の開発は重要な岐路にあると言える。

AIが見抜く「未来の遺伝疾患」

グーグル・ディープマインド社のアヴセック博士らが改良を進めている「アルファフォールド」というAIを用いれば、遺伝疾患を引き起こす「異常タンパク質」の形を見抜くことができる。この研究の見事なところは、遺伝子をつぶさに調べて、DNA変異が起こりそうな箇所を洗い出し、その結果生じる異常タンパク質の形を全て推定し切ったこと。今回の調査では、全変異の57%は良性で、32%は疾患を引き起こす可能性が疑われた。これは「未来の遺伝病」といってよいもので、今のうちに薬を準備できる可能性も視野に入ってきた。

人生に訪れる「二大老化期」

2024年8月の「ネイチャーエイジング」誌に発表されたスタンフォード大学のスナイダー博士らによる研究で、老化は徐々に進むのではなく、ステップ式に進むことが分かった。老化が突如進む「加速期」と、それほど老化が進まない「停止期」が交互に訪れるのだ。平均すると44歳と60歳頃が一気に老け込む時期になる。言い換えると、老化はプログラムされた自然現象の一部と言える。

認知症リスクを下げる「抗炎症食」

アルツハイマー型認知症は、従来は炎症とは無関係だと考えられていたが、近年の研究から、アミロイドβというタンパク質の脳内蓄積によってミクログリア(脳の免疫細胞)が活性化して炎症を引き起こし、神経細胞が損傷することが発症の原因だと明らかになっている。2024年8月の「JAMAネットワークオープン」誌に発表されたカロリンスカ研究所のダヴ博士らの論文によれば、抗炎症食を心がけている人は認知症を発症しにくいことが分かった。特に肥満、高血圧、糖尿病、高脂血症などの持病がある人で効果が顕著だった。抗炎症食とは、イワシやマグロなどのオメガ3脂肪酸を豊富に含む魚、レンズ豆やヒヨコ豆などの豆類、ブルーベリーやリンゴなどの果物、ブロッコリーやほうれん草などの葉野菜、玄米やオートミールなどの全粒穀物、アーモンドやくるみなどのナッツ、良質な脂肪であるエクストラバージンオリーブオイルなど。

アルツハイマーを防ぐ物質「コリン」

コリンは体内で合成できないため、食べ物から摂る必要がある。卵や魚、ブロッコリーなどは豊富にコリンを含んでいる。コリンは脳内ではアセチルコリンの材料となる。アセチルコリンは脳を代表する神経伝達物質で、アセチルコリンが増えれば記憶や学習の能力が高まるし、減れば認知能力が低下する。また、アルツハイマー型認知症では、アセチルコリンの神経細胞が真っ先に脱落する。だから、物忘れや失語などの症状が出るのだ。普段からコリンを十分に補給しておくことがアルツハイマー病の予防に効果があり、また、仮に発症しても症状が軽くなることが、動物実験で示されている。2024年5月の「ネイチャー」誌には、脳がどのようにコリンを取り込むかという分子メカニズムを明らかにした論文が発表されている。

「ガンマ波」がアルツハイマー病を防ぐ

マサチューセッツ工科大学の蔡立慧博士らが、ガンマ波の刺激をネズミに与え続けると、脳内のガンマ波の発生が促進された。そこで博士らは、ガンマ波を発するヒト用のヘッドセットをデザインし、アルツハイマー病患者で試したところ、脳の萎縮と認知機能の低下が抑制された症例があった。現在、治験規模を拡大して、600人以上の患者を対象に有効性を確認している。産業界では、この流れを受けて40Hz刺激装置が続々と市販されている。日本でも塩野義製薬などが開発してガンマ波サウンド装置が販売されている。いずれも医療機器として承認されたものではないので、実際の効果については慎重に検証すべきである。とはいえ、お手軽な装置なので、著者は試してみたいと思っているとのこと。

人類はみな「ブレンド」である

世界中には多様な民族がいるが、もとを辿れば、全員がアフリカの先祖に行き着く。最初に誕生した一人の女性を「ミトコンドリア・イブ」と呼び、私たちは皆、その末裔である。これが「生命の樹」のイメージだ。全員が幹から発生し、根元から一本の線で繋がっている。しかし、2003年に完成したヒトゲノム計画により、現生人類とは異なるネアンデルタール人の遺伝子が混じっていることが分かった。混血である。私たちは雑種だったのである。2023年5月に「ネイチャー」に発表されたカナダ・マギル大学のグレイヴェル博士らの研究の解析結果、何とミトコンドリア・イブは存在しなかった。人類はある特定の女性の子孫ではなく、現在では絶滅した多様なヒト種がいくつも混じり合ってできたものだったのである。何十万年もかけて交配に交配を重ねたブレンド雑種、これこそが今の私たち現生人類の姿なのである。生命の樹ならぬ、生命の網、蔦のように絡まった「網状構造」が正しい進化のイメージなのだ。――この件(くだり)を読んで、頭をガーンと殴られたような衝撃を受けた。長らく、ミトコンドリア・イブ説を信奉してきたからである。

「よいものを知る」ために必要なこと

2023年末、マイクロソフトは「Orca2」と「Phi-2」という2つの言語モデルを発表した。ChatGPTのような大規模言語モデルとは対照的に、小規模言語モデルと呼ばれる小型軽量の生成AIである。パラメータが少ないため。コンピュータへの負荷が低く、コスト全般が抑えられるのが利点である。それでいて大規模言語モデルに匹敵する性能を発揮するというのだから驚きだ。どうしてそんな魔法のようなことが可能なのか。マイクロソフトは「生成AIが合成した文章データを学習させた」と秘訣を明かした。今までの大規模言語モデルはインターネット上にある生の文章を学習していた。そこは玉石混交の世界。良質な文章もあれば悪質な文章もある。そう、生成AIの学習においては、悪質な文章の存在が足かせになっていたのだ。よいものを知れ――。