キャパの「崩れ落ちる兵士」の写真の真実・・・【山椒読書論(147)】
当時、若き無名のカメラマンに過ぎなかったロバート・キャパを一躍、有名写真家に押し上げたのは、スペイン内戦の戦場で撮った一枚の写真であった。「ライフ」の1937年7月12日号に掲載された「崩れ落ちる兵士」の写真に、これは本当に敵に撃たれた兵士なのか、この写真を撮ったのは本当にキャパなのか、という疑問を抱いた日本人がいる。
『キャパの十字架』(沢木耕太郎著、文藝春秋)は、著者がこの謎をとことん追いかけ、遂に真実に辿り着くまでのドキュメントである。この著作は推理小説的な一面も有しているので、これから読む読者の興を削がないよう、結論は伏せておく。
「崩れ落ちる兵士」の写真が撮られた直後であろう、避難してくる大勢の人々とは逆方向に向かって並んで歩いていくキャパとその恋人で写真家のゲルダ・タローの後ろ姿――仲間のカメラマンが撮った写真に二人が写っている。翌年、ゲルダが戦車の暴走に巻き込まれて落命してしまうことを知っているだけに、何とも言えない気持ちに襲われる。
この書の中で、キャパと世紀の大女優、イングリッド・バーグマンの恋について、著者が言及している。この件は、かなり正直に綴られたバーグマンの自伝『イングリッド・バーグマン マイ・ストーリー』(イングリッド・バーグマン、アラン・バージェス著、永井淳訳、新潮社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)の中では、こう記されている。「イングリッドと会ったとき、彼女より1歳上の31歳になるロバート・キャパは、人目を惹きつける独創的な人間だった。精力的で、意欲的で、世間知にもたけた国際人でありながら、皮肉な冗談を好んで口にしたにもかかわらず、本質は傷つきやすい心の持主だった。濃い眉毛の下のきらきらした黒い目、魅力的なアクセント、生きいきしたユーモアのセンス、人間や権力を巧みに操って自分の気分にマッチさせる能力といったものが、彼を人気者に仕立てていた」、「わたしは彼(キャパ)のそばにいたかった。彼は冒険家で、自由を愛する人間だった。金は彼にとって重要ではなく、おそろしく気前がよかった」、「もしもキャパがイングリッドに向かって、『ぼくと一緒にきてくれ。一か八か世間に体当りして、人生の美酒をたっぷり飲もうじゃないか』といっていたら、彼女(イングリッド)はついて行ったかもしれないが、その可能性は少ない。『ぼくと結婚してくれ、そして二人であらゆる喜びを確かめよう』といわれていたら、おそらく彼女は承知していたにちがいない。だが彼はそうはいわなかった」。映画史上、最も美しく上品なバーグマンにこうまで思われたキャパは、本当に魅力的な男だったに違いない。
『キャパの十字架』は、沢木耕太郎の力量が十分に発揮された力作である。そして、著者のキャパに対する温かい眼差しにホッとするのは、私だけだろうか。