榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

松岡正剛があの世で本書を読んだら、我が意を得たりと膝を打つことでしょう・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3995)】

【読書の森 2026年2月20日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3995)

我が家の餌台の常連たち――シジュウカラ、スズメ、メジロ。

閑話休題、松岡正剛があの世で、『不確かな時代の「編集稽古」入門』(田中優子著、朝日新書)を読んだら、我が意を得たりと膝を打つことでしょう。

松岡が逝去するまで校長を務めた「イシス編集学校」の「学衆」と呼ばれる学生、「師範代」と呼ばれる教師、「師範」と呼ばれる師範代を助ける先達――たちの実例を通じて、松岡が生涯を懸けて極めようとした「知の編集工学」のエッセンスが解説されているからです。

●問→感→応→答→返の過程にこそ、編集があります。問いに正解はないこと、「感」「応」や「答」や「返」を通して学衆と師範代が、また学衆同士が相互編集していくことが人間関係そのものであること、その関係の中にしか「自分」は存在しないことを、一つひとつの稽古の中で実践する。頭だけでなく身体的にも理解し、体感することが、稽古なのです。

●編集工学の中では「人生を編集する」のではなく、「編集を人生する」という言葉で語られます。前者は、自己を固定して物事を見ていますが、後者は「編集的自己」として(言い換えればプロセスとしての自己として)世界と関わっています。そして編集をし続けること、そのものが人生になっているということ、相互に編集しあう世界を生み出し続けようとすること、それが「編集を人生する」ということです。固定的自己から編集的自己へと、「わかる」と自己も世界も「かわる」のです。

●逆境は再編集のチャンス。

●編集とは関係性の構築。

●編集とは何か。それは大袈裟でなく、生きるとは何かを問うのと同じです。免疫が非自己によって自己を作り出しているように、あらゆる生命は関係線を引くことで存在しています。自己と他者の「あいだ」に。自己と「たくさんのわたし」の「あいだ」に。他者と他者の「あいだ」に。この無意識の行為を意識化し、学ぶほど自由にダイナミックに、いつしか思いもよらぬ動的な関係線を引けるようになっているのが、イシス的編集の真骨頂です。学びが常にそうであるように、波のように凪いで表面は変わらないようでいて、海底ではマグマがくつくつと沸騰して「さしかかりの時」を窺っているのです。

●型で「自由になる」とはどういうことでしょうか? 型の一般的なイメージは、仕事で順守したような従うべきルールで、アウトプットを揃えるためのものですね。しかしイシス編集学校で学ぶ型は、一律で画一的な結果を導くためのものではありません。型を使う、型を通す、型に入ることで、一人ひとりがそれぞれまったく多様な表現を生み出していくことができるのが、編集学校で学ぶ型なのです。

●イシス編集学校で稽古するような、言語の可能性を広げ、身につけていくことが、ますます大事になるのです。

●編集は「何に向かっていくのか」。松岡正剛は「6つの編集ディレクション」を示しています。①編集は「可能性を増やす」方向に向かう。②編集は「新しい価値・意味」をつくる。③編集が「人や場を生き生き」とさせる。④編集は「ものごとを前に」すすめる。⑤編集は「与件から始まる」。⑥編集は「よくよく練られた逸脱」に向かう。