メジャーの野球に革命を起こした男・・・【山椒読書論(230)】
メジャー・リーグの貧乏球団オークランド・アスレチックスはなぜ勝ち続けることができるのか。そこには、野球の常識を根底から覆した驚くべき戦略があったのだ。『マネー・ボール』(マイケル・ルイス著、中山宥訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)は、画期的な経営手法を編み出し、実行し、ついに成功を勝ち得た、アスレチックスの敏腕ジェネラル・マネジャー、ビリー・ビーンの勝利の記録である。野球の世界の成功例として興味深いだけでなく、他の業界で鎬を削っている我々にも多くの示唆を与えてくれる。
野球に限らず、プロスポーツでは豊富な資金を有するチームが好成績を収めるのが常だが、アスレチックスはこの原則から見事に外れている。最小の投資で最大の成果を上げてしまったのである。世界一の金持ち球団ニューヨーク・ヤンキースの約3分の1の投資額でほぼ同等の成績を収めたのだから、驚きである。この快挙は、たった一人の人物、ビリーが原点なのだが、その状態が継続しているところが、また凄い。メジャー・リーガーとしては成功できなかったビリーが、ジェネラル・マネジャーとしては大成功を収めたのだから、この世は面白い。
ご存じのように、野球というのはスリー・アウトになってしまえば、そのイニングではもう何も起こらない。従って、アウト数を増やす可能性が高い攻撃は賢明ではない。逆に、その可能性が低い攻撃ほどよいということになる。そのため、ビリーは打者を評価・選択するに当たり、打者の勲章とされている「打率」ではなく、「出塁率」を重視したのである。
「出塁率」とは、簡単に言えば、打者がアウトにならない確率である。自らが出塁する代わりに走者を進めようとするバントは禁止、狙ったベースでアウトになる確率が高い盗塁も原則禁止とし、これを監督のみならず選手にも守らせたのだ。これにより、アスレチックスは全米で一番ユニークなチームとなった。何しろ、走者を溜めて長打で得点するという野球の常識が否定されたのだから。一方、球をよく見極めて、四球で出塁することが称賛される。そして、この戦術に逆らう者は放出されたのである。すなわち、「出塁率」というたった一つのデータを軸にした新たな「球団文化」を作り上げたのだ。
年俸が高い有名選手や有望新人を雇う余裕がない資金力の乏しい球団は、どんな選手に資金を投じれば効率的なのか。無名選手であろうと、他球団で評価が低い選手であろうと構わずに、ビリーは「出塁率」が高い掘り出し物の選手に注目し、獲得していったのである。これまで陽の当たらなかった選手たちが、「出塁率」によって正当に再評価され、活躍するのを見るのは、ビリーにとって極上の幸せなのだ。ビリーによって不遇から救い出された選手たちが、その恩に報いようと懸命に努力を続けている組織が強いのは、当然だろう。そして、こういう選手たちの活躍によってチームの勝ち星がどんどん増えていくのである。
アスレチックスでは投手の評価も、常識となっている「防御率」ではなく、「与四球数、奪三振数、被長打数」なのだ。これまでは、ヒットを多く許す投手は防御率が悪く負け数が多い、ヒットをあまり打たれない投手こそ優れているとされてきたが、長打以外のフェアボールは、ヒットになろうとなるまいと、投手の責任ではないと考えているのである。
映像で楽しむには、DVD『マネーボール』(ベネット・ミラー監督、ブラッド・ピット、ジョナ・ヒル出演、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント)がある。