私の一番好きな謡曲『鉢木』の魅力・・・【情熱の本箱(146)】
私の一番好きな謡曲は、『鉢木(はちのき)』である。何回聴いても、何度読んでも、途中で何度も涙が溢れてきてしまう。何がそんなに私の琴線に触れるのだろう。それを確かめたくて、『解註 謡曲全集(巻4)』(野上豊一郎編、中央公論社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を手にした。
ある大雪の夜、一族の者に領地を押領されて落ちぶれてしまった、上野国・佐野の住人、佐野源左衛門常世の陋屋を、一晩の宿を求めて旅の僧が訪れる。常世は貧しいため持て成しができないと一旦は断るが、思い直して僧を追いかけ、家に招き入れる。
夜が更けるにつれ寒さが厳しくなるが、燃やすべき薪がない。そこで、常世は零落してもこれだけはと秘蔵してきた鉢木(盆栽)を燃やして持て成そうとする。「●常世=某(それがし)もと世にありし時は、鉢の木に好きて数多持ちて候へども、さんざんの体に罷りなりて候間、いやいや木好きも無益と存じ、皆人に参らせて候。さりながら未だ三本持ちて候。梅・桜・松にて候。これは某が秘蔵にて候へども、今夜のおもてなしに、この鉢の木を伐り火に焚いてあて申さうずるにて候。●僧=以前も申す如く、御志はうれしう候へども、自然またおこと世に出で給はん時の御慰みにて候ほどに、なかなか思ひもよらぬ事にて候」。
常世は、このように落ちぶれてはいても、いざ鎌倉というときは真っ先に駆けつけると、その胸中を披瀝する。「●常世=かやうにおちぶれては候へども、御覧候へ、これにちぎれたる具足一領持ちて候。錆びたれども薙刀一えだ。痩せたれどもあれに馬を一匹繋いで持ち置きて候。これは唯今にても候へ、鎌倉に御大事あらば、ちぎれたりともこの具足取って投げかけ、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り、一番に馳せ参じ着到につき・・・」。この一節は、いつも胸に迫るものがある。私も組織の一員として、長いこと、同様の気持ちで組織や上司・仲間に向き合ってきたからである。
年が明けて春になり、突然、関八州の諸軍勢に幕府から緊急召集がかかる。常世も痩せ馬に跨って駆けつける。なぜか常世は御前に呼び出される。「●時頼=この諸軍勢の中に、ちぎれたる腹巻を着、錆びたる薙刀を持ち、痩せたる馬を自身ひかへたる武者一騎あるべし。此方へつれて来たり候へ」。
やがて御前にかしこまった常世に声がかけられる。「●時頼=やああれなるは佐野の源左衛門の尉常世か。これこそいつぞやの大雪に宿借りし修行者よ見忘れてあるか。いで汝その時佐野にて申ししよな。今にてもあれ鎌倉に御大事あらば、ちぎれたりともその具足取つて投げかけ、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り、一番に馳せ参ずべき由申しつる、言葉の末を違へずして、参りたるこそ神妙なれ。まづまづ今度の勢づかひ、全く余の儀にあらず。常世が言葉の末真か偽りか知らん為なり」。何と、あの大雪の日の旅の僧は、前執権の最明寺入道こと北条時頼だったのである。
時頼は、常世の本領・佐野の庄30余郷を返し与えただけでなく、「何より以つて切なりしは、大雪振つて寒かりしに、秘蔵せし鉢の木を切り火に焚いてあてし志、いつの世にかは忘るべき」と、梅・桜・松の名に因む3カ所の庄を新たに与えたのである。
この謡曲は武士階級の道義観がテーマとなっているが、この心意気はいつの世にも忘れてはならぬと、時代後れの私は胸に刻んでいる。