榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

顰めっ面をした陰気な孔子でなく、大らかで陽性の孔子に出会えた・・・【情熱の本箱(154)】

【ほんばこや 2016年9月12日号】 情熱の本箱(154)

完訳 論語』(井波律子訳、岩波書店)は、これまで読んだ何人かの訳者の『論語』よりも、私にはしっくりきた。

例えば、「学而篇」の「子曰く、学んで時に之れを習う、亦た説ばしからずや。朋有り遠方自り来たる、亦た楽しからずや。人知らずして慍らず、亦た君子ならずや」は、こう訳されている。「先生は言われた。『学んだことをしかるべきときに復習するのは、喜ばしいことではないか。勉強仲間が遠方から来てくれるのは、楽しいことではないか。人から認められなくとも腹を立てない。それこそ君子ではないか』」。解説の「君子はもともと、上層階層に属し、美的・倫理的に修練を積んだ人物を指すが、孔子の描く君子像は階層を超え、より広がりをもつ理想的人間像である。この章の発言はすべて『亦た~ずや』という、圧迫を感じさせない穏やかな問いかけの語調になっており、先生と弟子が自由かつ活発に語り合った孔子一門のざっくばらんな雰囲気を、おのずと明らかにする」という一節に、孔子と弟子たちとの肩肘張らない関係が示されている。

「為政篇」の「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」の解説は、こう始まっている。「孔子が晩年、みずからの生涯を段階的にたどった自叙伝である。ここには簡潔ながら孔子の生の軌跡が鮮明に刻み込まれている」。そして、「意欲的な少年時代、積極果敢な青壮年時代から、大いなる受容の精神に浸された晩年へ。この簡潔な自伝は孔子の軌跡をみごとに浮き彫りにしている」と結ばれている。

「子曰く、学んで思わざれば則ち罔し。思うて学ばざれば則ち殆うし」は、「先生は言われた。『書物や先生から学ぶだけで自分で考えないと、混乱するばかりだ。考えるだけで学ばないと、不安定だ』」と訳されている。

「里仁篇」の「子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の「先生は言われた。『朝、おだやかな節度と調和にあふれる理想社会が到来したと聞いたら、その日の夜、死んでもかまわない』」という訳について、「上記の訳は伝統的な解釈(古注)にもとづいたものである。この言葉は、新注以来、『道』を倫理的・道徳的な真理ととらえ、そうした『道』について聞いたならば、すぐ死んでもかまわない、という意味だとされてきた。『道』のためなら死も厭わないという、ややヒステリックに硬直した道徳主義的色彩の濃厚な解釈である。しかし、孔子はこれまで見てきた種々の発言からうかがえるように、そんな性急さとは無縁な人だった」と自らの見解を述べている。

「雍也篇」の「子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し」は、「先生は言われた。『知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動的だが、仁者は静的だ。知者は楽しく暮らし、仁者は(穏やかに暮らして)長生きする』」と訳されている。これに対する著者の解説が興味深い。「知者と仁者に優劣をつけることなく、それぞれの特徴をとりあげ、すぐれた人間の二つのタイプとして示したものだといえよう」。

「述而篇」の「子 人と歌いて善ければ、必ず之れを反さしめて、而る後に之れに和す」。「先生は歌の会のさい、いい歌だと思われたときには、必ずもう一度うたわせたあと、自分も合唱された」と訳されたこのエピソードは、孔子の生活ぶりを彷彿とさせる。「歌の好きな孔子の姿を寸描した楽しい話である。音感も抜群にすぐれていた孔子は、うたうのみならず、楽器も演奏した。楽しくうたい演奏する音楽好きの孔子の姿は、堅苦しい儒者のイメージとはほど遠いものがある」。

「子罕篇」の「子 川の上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず」は、「先生は川のほとりで言われた。『過ぎゆくものはすべてこの川の流れと同じなのだろうか。昼も夜も一刻もとどまることがない』」と訳されている。「さまざまなニュアンスのちがいこそあれ、以上のように、この発言を基本的に時間の推移に対する詠嘆だとする読みかたとは異なり、朱子の新注をもとに、これは川の流れのように人はたゆまず努力し、無限に進歩、向上すべきだと説くものだとする読みかたもある。しかし、この解釈はあまりに道学臭がつよく、この言葉のゆたかな詩的イメージにそぐわないものである」とする著者に、同感だ。

「子路篇」の「子曰く、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」は、「先生は言われた。『君子は人と調和するが、みだりに同調しない。小人はみだりに同調するが、調和しない』と訳されている。現在の世の中もこのとおりだなと、納得してしまう私がいる。

「衛霊公篇」の「子曰く、過って改めざる、是れを過ちと謂う」は、「先生は言われた。『過ちをおかしながら改めないこと、これを過ちと言うのだ』」と訳されている。「人はどんなに注意していても、つい過ちや失敗をしてしまうことがある。そんなとき、みずからの過ちを直視し、すぐ改めよと説く孔子は、やはり人の世の荒波を越えてきた、率直にして深い叡智の持ち主だった」という解説に、著者の孔子に対する敬愛の念が如実に表れている。

こういう解釈が生まれてきた背景には、孔子を「生きることを楽しんだ人」と見る著者の人間讃歌的な捉え方がある。「孔子は後世に流布する、儒家思想の祖という厳めしいイメージとはうらはらに、たいへん魅力的な人物だった。心身ともに健やかで、明朗闊達、ユーモア感覚にあふれ、なまじの苦難をものともしない強靭な精神を保ちつづけた。とはいえ、いつも余裕たっぷり、穏やかだったわけではなく、喜怒哀楽はいたってはげしく、哀しいときは身も世もあらず嘆き、腹が立つときは思いきり怒り、容赦なく辛辣な批判を加える一方、うれいしとき、楽しいときは手放しで喜びに浸り、気分を高揚させた。弟子たちはそんな孔子の姿を、『子は温やかにして而も厲し。威ありて而も猛からず。恭しくして而も安し(先生は穏やかだけれども、きびしい。威厳があるけれども、たけだけしくはない。きちんとして礼儀正しいけれども、楽々として堅苦しくはない)』と、敬愛をこめて記している」。「孔子の生涯は文字どおり波瀾万丈だったが、いついかなるときも、孔子は身も心も健やかにして明朗闊達、躍動的な精神を失わなかった。不遇のどん底にあってもユーモア感覚たっぷり、学問や音楽を心から愛し、日常生活においても美意識を発揮するなど、生きることを楽しむ人だったのである」。

著者のおかげで、顰めっ面をした陰気な孔子でなく、大らかで陽性の孔子に出会えたことに感謝している。

著者の前書きと後書きが簡潔であることに好感を覚えた。一方、巻末の孔子関連地図、孔子関連年表、主要参考文献、語句索引、語注索引、人名索引が充実しているので、厚さ3.6cmの本書を読み進めていく上で非常に助けられた。