小室直樹という稀有な学者を同時代人に持てた幸せを味わわせてくれる評伝・・・【情熱の本箱(257)】
『評伝 小室直樹(上)――学問と酒と猫を愛した過激な天才』、『評伝 小室直樹(下)――現実はやがて私に追いつくであろう』(村上篤直著、ミネルヴァ書房)は、3つの魅力を備えている。
魅力の第1は、アカデミズムからは受け容れられなかったが、間違いなく類い稀な社会科学者であった小室直樹の学問の全貌を俯瞰できること。
「人生かけての目的。それは世界に冠たる大日本国の再興、これである。それは英雄によって成し遂げられるであろう。その英雄こそ自分であると確信していた。戦前の輝ける大日本帝国がアメリカに敗けたのはなぜか。それは『科学』の力が圧倒的に劣っていたからである。だから、日本の栄光を取り戻すためには、西洋文明の精華である科学、とりわけ社会科学を体得し、理論的不備を補い、完成させる。それが『社会科学の方法論的統合』である」。
「小室は住む場所まで大塚(久雄)宅の近くに変えた。以降、約10年間にわたり、小室は大塚から講義やゼミの場で、また個人的にもヴェーバー理解のための指南を受けるのである」。
「『エコノミスト』に小室の論文『<社会科学>革新の方向』が掲載される。これは日本の社会科学界、知識人階層に激震を与えた。橋爪大三郎もその(読者の)一人だった。本論文で、『小室直樹』の名前は一気に世に広まったのである」。
「度を超した断食で、数日間、死の淵を彷徨った小室直樹。周囲の尽力で生還した彼は、皆にお返しをするためにベストセラーを書く、と宣言。誰も信じないなか、昭和55(1980)年に刊行した『ソビエト帝国の崩壊』は、いきなり40万部を超えた。小室直樹の奇蹟が始まった。古今東西の知識、30年にわたって研鑽し、彫琢した社会科学方法論、そして霊感、直観をもって、複雑で混迷にみちた現実世界を見事に捌いていった。ソ連、アメリカ、中国、韓国、そして日本。誰にもみえないものが小室にはみえた。小室によって思わぬ切り口から分析された対象は、『参りました』とばかりにその真実の姿を白日の下にさらした。快刀乱麻を断つが如し。しかも、偉ぶらず、奢らず、その語り口は軽やかで講談を聞くようだ。『小室節』と呼ばれる所以である」。アカデミズムの世界では受け容れられなかった小室が、こうして日本社会に広く受け容れられたのである。そして、56歳で結婚。平成3(1991)年、ソ連崩壊。『ソビエト帝国の崩壊』から11年後、小室の予言は的中したのである。
橋爪の言葉が、小室の学者としての凄さを如実に物語っている。「(学者の本当の実力が)突然にわかる瞬間がある。どういうふうにわかるかというと、ある学者がその持てるあらゆる力量を傾けて、未知の領分や将来起こりうる出来事について推測し、予言する。社会科学で言えば、いまの時代はこうだから、これから先はこうなるはずだ、というような予言を行なう。しかもその予言が、学問的な根拠でもってきちんと裏付けられている。そして、その予言が見事に的中した、という場合なのです」。
しかし、「60代に入ると、老いが容赦なく小室を襲う。あの天才的な輝き、放射するようなエネルギーは、失われていった」。平成22(2010)年、77歳で死去。
魅力の第2は、小室が多くの後進たちに強烈な影響を与えた理由が明らかにされていること。
「小室ゼミナール。通称『小室ゼミ』。・・・小室直樹が、無償で自己の理解した学問(理論経済学、数学、統計学、社会学、丸山(眞男)政治学、宗教社会学等)を教えたということである。教祖がもったいぶって信者に教えを垂れる。そんな側面は一切なかった。小室が教えたのは、どこに行っても通用する正統な学問であった。特に指導したのは、社会科学の基礎にあるべきと考えた数学、理論経済学であった。対価は一切、受け取らなかった」。
「橋爪大三郎は、小室ゼミの最大の貢献者である。小室ゼミが、この後、約10年にわたって存続できたのは橋爪の存在があったからである。橋爪の真面目で几帳面な性格、そして、類まれなる組織力の賜物が、小室ゼミであった」。
「長谷川公一は、講義する小室に、学問的情熱がなによりも最優先している、『俗世間』を超越した姿をみた。そこに、研究者、生きた学究のモデルを肌身で感じた。無報酬で、ゼミ生に熱っぽく経済学、数学、法社会学を教えてくれ、学問の神髄を語りかけてくれる」。教育者として、学問の本質を分かり易く教えることができる小室の能力は群を抜いていたのである。
テレビの生放送番組で、ロッキード事件で求刑された田中角栄擁護の論陣を張る小室を目にした視聴者の中に副島隆彦がいた。「副島は、絶叫する小室の姿をみて『この人は本物だ。本当のことをいっている』と直感。そして『この人から本当のことを学ぼう』と決意したのであった」。
小室の死後も、小室が成し遂げた学問的成果は残り、人々に伝播した小室の精神は火種となって燃え続けている。
魅力の第3は、常識に囚われず自由奔放に生きた小室の言動や私生活を丹念に辿れること。
京大生時代、豊満な美人学生から「あなた、再軍備論者だそうですね。ちょっとお話しませんか」と呼び止められた小室は「なにィ? 種付けするゾ!」と怒鳴った。「『キャーーーーッ!!』。キャンパスに悲鳴が響いた。以降、彼女は小室の姿をみかけると逃げるのであった」。
「小室の風体は、丸坊主で丸い黒縁めがね、裸足に下駄履き。くたびれた学生服を着て、手拭いを腰にぶらさげている。・・・(下級生が)議論を聞いていてわからないことがあるときは、小室に質問すると即座に答えてくれた」。
「とにかく小室は書くのも速く、筆記試験で抜群の成績を取ったのだ。小室の学力は、ミシガン大学でもたちまち有名になった」。
「小室の計画はこうだった。尊敬するサムエルソン(ノーベル経済学賞受賞者)の元で研鑽を積み、2年目中に博士論文提出資格を得る。それから、急ぎ博士論文を書いて、3年目の終わりにPh.Dを取得する。そして、日本に凱旋帰国。経済学を制覇し、いずれ世界をも制覇する、と」。
「日本一の頭脳、44歳、独身、六畳一間暮らし」。
「小室は、日常生活の側面ではまったく欠けている部分があった。たとえば、食事一般については、妙な健康食以外、まったく関心がなかった。関心があるのは学問だけ。そこだけ大きくあって、あとはゼロ」。
上下合わせて8cmある本書を読み終わって、小室直樹という稀有な学者を同時代人に持てた幸せをしみじみと味わっている。