小室直樹の多岐に亘る学問の世界が俯瞰できる本・・・【山椒読書論(339)】
その考え方の全てに賛成というわけではないが、小室直樹は尊敬に値する真の学者である。
小室の弟子11名と友人1名による『小室直樹の世界――社会科学の復興をめざして』(橋爪大三郎編著、ミネルヴァ書房)では、学問の世界における小室の縦横無尽の活躍ぶりが生き生きと再現されている。
「小室直樹博士の名は、わが国では、異色の思想家、保守派の論客、奇矯な言論人、・・・としてのみ知られている。小室博士の学者としての実力は、アカデミズムのごく一部、主に社会学を中心とする当時の若手の人びとに知られていたにすぎない」。この「当時の若手の人びと」が本書に集結している。
「小室博士が活発に著述活動をしたのは、1960年代の後半から2000年代にかけてのおよそ40年間。日本の言論界で独自の位置を占めた。と言うか、言論界の座標軸のなかに収まらない、特異な存在だった。彼は政治学者なのか、社会学者なのか、それとも社会思想家なのか。彼は近代主義者なのか、保守主義者なのか、それとも右翼の思想家なのか。まだその実像は理解されていないし、その評価は定まっていない」。小室の主張に賛成か否かを問わず、小室を知らずに人生を送ってしまうというのは、何とももったいないことである。
「小室直樹博士は、その学者としての生き方の純粋さ、徹底性、献身によって、学術界の内外を問わず多くの人びとに影響を与えた」。学問の凄さだけでなく、人間的魅力を備えた稀有な人物であった。
「物理学、数学はもとより、経済学、心理学、社会学、統計学、人類学、経済史学、法社会学、政治学、など多くの学問に及んでいる。これだけでも、驚くべきことである。これらの学問は、小室直樹のなかで有機的に融合してひとつとなり、尽きない知的創造の源泉となった」。この貪欲な知的好奇心には圧倒される。
小室の著作群は、4つのグループに分けることができる。第1は国際情勢を論じるもの(『ソビエト帝国の崩壊』など)、第2は日本社会もの、第3は宗教もの、第4は、これ以外の個別のテーマを扱ったもの――である。このように実に多岐に亘っているが、しかも、いずれも高い水準を保っている。
我々ビジネスパースンは、小室から何を学ぶべきか。「小室博士が未来を予測する手法はいたって簡単で、現在がどのように過去に支配され、過去から導かれているかを理解することだ。人間も、また社会も、慣性のようなもの(惰性)をもっている。人間も、社会も、急には変われず、すでに確立したパターンを、特に理由がない限り、将来に向けて保っていくという特性をもっている。ただしその表層の現象は、めまぐるしく変わっている。表層の現象の背後に隠れた、変わらない実質は何か。その変わらない実質を『構造』とよべば、構造と構造が接近遭遇した場合、何が起こるか。構造と表層はどのように区別できるのか。どれが表層で、どれが構造か。こうした情報処理に熟達するならば、過去と現在をありありと見ることができ、おのずからそこに、未来の姿が見えてくる。未来のすがたがありありと見えれば、ビジネスチャンスは見つけ放題。仕事はやり放題、ということになるだろう」。
「小室氏は、アメリカ留学から帰国ののち、東大大学院で政治学を研究。その時期に、丸山眞男(政治学)、大塚久雄(経済史)、川島武宜(法社会学)、中根千枝(社会人類学)といった、戦後日本の最高レベルの学者たちから、直接教えを受けた」。小室の言論は、猛烈な勉強に裏付けられているのだ。
本書では多くの著作が取り上げられているが、1980年という早い時点でソ連の崩壊を予言した『ソビエト帝国の崩壊――瀕死のクマが世界であがく』(光文社)については、このように解説されている。「同じ時期にソビエト帝国の崩壊を予言した学者かジャーナリストが、フランスにもうひとりいたと聞く。が、本書の価値は、単に崩壊を『予言』した点にあるだけではなく、その崩壊の原因や必然性、崩壊のプロセスまでもが、詳細に具体的に、のべてあるところにある」。これこそ、真の学者がなさねばならない仕事だ。
また、『田中角栄の呪い――「角栄」を殺すと、日本が死ぬ』(光文社、1983年)については、「田中角栄が、おそらくアメリカの路線との食い違いから、アメリカ発のスキャンダルで失脚し、政治的に葬られていくプロセスに、小室博士はおおきな疑問と義憤を感じ、田中角栄擁護の論陣を張った。行政官僚に対抗し、選挙で支えられる有能な民主政治家を、法律上の形式犯で裁き、葬ってもよいのか。政治の原点にさかのぼる問いを訴えてやまなかった。このことで小室博士は、マスコミと絶縁状態になり、テレビに出演できなくなるなど、大きなマイナスの影響を被ったかもしれない。それを覚悟のうえでの、信念に基づいた選択だったのだろう。田中角栄を論じる書物をぜひ手にとって、このような着眼がいかに語られているかを確認していただきたい」と、一読を勧めている。私の田中角栄観と一致している。
盛山和夫は、小室の講義は「学問の基礎をふまえた、わくわくする講義」であったと述懐している。山田昌弘は、「今回のシンポジウムを通じて、改めて、私が大学生、大学院生、若いころに、小室先生のもとで学べたということは、本当に、運が良かったという以上に、本当に貴重な経験だったと思っております」と述べている。
小室直樹というのは、やはり、凄い人物だと再確認することができた。