榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

一フランス人女性の読み聞かせが、ジプシー一家を大きく変えていった・・・【情熱の本箱(175)】

【ほんばこや 2017年3月4日号】 情熱の本箱(175)

自分が読み聞かせヴォランティアをしているせいか、『本を読むひと』(アリス・フェルネ著、デュランテクスト冽子訳、新潮社)には、特別な感懐を覚えた。と言っても、私の場合は日本での幼児や小学生に対する読み聞かせであり、この小説のヒロイン、エステール・デュヴォが行ったのは、フランスのジプシー(ロマ)の読み書きができない子供たちへの読み聞かせと、状況はかなり異なっている。それでも、子供たちへの読み聞かせは有意義な行為であり、読書が人間にとって重要であるという点では共通している。

あるジプシー一家がパリ郊外の荒れ果てた私有地に無断で住み着いている。家長のアンジェリーヌばあさんと、5人の息子、4人の嫁、8人の孫という大家族だ。アンジェリーナは皆から「ばあさん」と呼ばれているが、未だ57歳である。息子たちがまともな仕事に就いていないことも、孫たちが学校に行っていないことも、気にしていない。彼らは一般社会から除け者にされ、身分証明書もなければ社会保障も受けられない。最低限の生活必需品も持たず、着の身着のままで暮らしている。

ある日、フランス人で図書館の責任者を務めているエステールが一家を訪れる。最初、アンジェリーヌばあさんは鼻も引っかけないが、エステールは、学校教育から疎外され、本どころか文字さえ知らない子供たちに、読書の喜びを伝えたい一心で通ってくる。雨の日も、風の日も、週に一度訪ねてくるエステールを、子供たちはやがて心待ちするようになる。すると、次にその母親たちが、そしてアンジェリーヌばあさんが、遂には男たちも、次第に心を開いてゆく。一家の独身の長男・アンジュロは、いつの間にかエステールに夢中になってしまい、叶わぬ恋に煩悶する。一方、エステールは、学齢に達しているアニタを何とか学校に入れようと奔走する。

「エステールは、彼女の考えを説明する。家に本のない子供たちにお話を読んであげたい、と。ばあさんはぶすっとしている」。

「エステールは、本のたくさん入った大きな箱の中を探る。子供たちはぽつりぽつりと彼女のそばに座りにくる。子供たちを手なずけるには本の持つ魅力に限ると思っていた」。

「この日から、エステールが本を読んでいると、親たちが彼女のまわりをうろうろするようになった」。

「男どもは遠くから監視していて、おしゃべりが長引くと近寄ってくる。何でこんなことしてるんだよ? とムスチックが訊く。子供が好きだからとエステールは答える」。

「エステールの存在は彼らの暮らしの中の楽しみの一つになっていた。彼女がいなくなったら、おそらくみんな寂しがるだろう。子供たちは彼女が来るのを待っていた。親たちも彼女に話しかけるようになった」。

「秋のあいだずっと、エステールは一度も欠かさず水曜日にやって来た。11時に着いて、子供たちには物語を読み、親には親の話を聞いてやった」。

「ジプシーの家族は、本以外のものを手に入れた。エステール自身を手に入れたのだ。女たちは心を打ち明け、子供たちは慕い、そしていまでは男たちまで口出しをしてきた。エステール、俺たちのことはどうなんだ、と遠くから呼びかける。彼らも自分たちの女房と同じように、エステールにかまってほしかった」。

「午前中の読書の時間が長引くようになっていた。子供たちは前よりも長い間熱中し、エステールを帰らせたがらなかった。連続ものの長いお話を読んで聞かせた」。

本を読む人・エステールとの接触によってジプシー一家が大きく変わっていく様に胸の底が温かくなった。同時に、子供たちのきらきらした目を見たいと熱心に取り組んでいる読み聞かせヴォランティアの仲間たちの顔が浮かんできた。