植物は視覚、嗅覚、触覚、位置感覚、記憶を駆使して生きている・・・【情熱の本箱(191)】
『植物はそこまで知っている――感覚に満ちた世界に生きる植物たち』(ダニエル・チャモヴィッツ著、矢野真千子訳、河出文庫)は、本文が185ページしかない文庫本であるが、今後、植物に関する最も重要な一冊と位置づけられるようになるだろうという予感を抱いた。
著者の結論を一言で言えば、植物は確かに見ている、匂いを嗅いでいる、接触を感じている、位置を感じている、憶えている、知っているが、聞いてはいない――ということになる。植物学の最前線の研究を踏まえ、植物には実際に感覚があるのだと主張しているのである。
植物の知能について。「厳密に言えば、植物は『知っている』という私の言葉の使い方は正しくない。植物には中枢神経系、つまり体全体の情報を調整している『脳』は存在しないからだ。それでも植物は環境に最適化するよう各部位を緊密に連携させて、光や大気中の化学物資、気温などの情報を根や葉、花、茎で伝え合っている。そもそも植物とヒトのふるまいを同等に扱うことはできない。植物が『見る』あるいは『匂いを嗅ぐ』と書いたからといって、それはかならずしも植物に目や鼻(あるいは感覚器から得られる入力情報に感情を結びつける脳)があるという意味にはならない。しかし、ヒトのふるまいにたとえた表現を用いるほうが理解しやすくなることもまた事実だ――視覚や嗅覚について、植物とヒトについて、想像力をはたらかせながら考えて、認識を新たにするためには」。著者が採用したこの表現法のおかげで、私たち門外漢も植物の世界に容易に足を踏み入れることができるのだ。
植物の視覚について。「植物は生き残るため、つねに移り変わる周囲の環境に敏感でいなければならない。光の方角、量、持続時間、色を知らなければならない。つまり、電磁波を(ヒトにとって可視的なものも、そうでないものも)間違いなく感知しているということだ。ヒトも電磁波を感知するが、感知できる範囲は限定されている。植物はそれより短い波長のものも長い波長のものも認識する。植物はヒトより世界を広域に見ていることになるが、それを像として見ているわけではない。植物は光の信号を像に翻訳する神経系をもっていない。そのかわり、光の信号を生長のためのさまざまな指示に翻訳している。植物に『目』はない。ヒトに『葉』がないのと同様に。受けとる器官が違うだけで、植物もヒトも光を感知している」。
「光を感知する能力は原初クリプトクロムからあらゆる生き物へと受け継がれ、進化していき、やがて植物と動物では大きく違う視覚システムに分かれていったということだ」。
植物の嗅覚について。「植物も動物も大気中の揮散性物質をたしかに感じとっている。だがこれは、植物による嗅覚と考えていいのだろうか? 植物には嗅覚神経も、信号を解釈する脳もない。2011年現在、揮散性物質をキャッチする植物の受容体として見つかっているのは、エチレン受容体ただ一つだ。それでも、熟する果物や、ネナシカズラや、ハイルが実験したライマメや、その他自然界にある植物はみな、私たちと同じようにフェロモンに反応している。植物は大気中の揮散性物資を検知し、その信号を生理的反応に変換している。これはまさに、嗅覚と考えていい」。
植物の位置感覚について。「一つところに根を張って定着している植物は、退却したり逃げたりはできないが、環境が変わったとき、それに合わせて代謝を変えることができる。接触その他の物理的刺激にどう対応するか、生物のふるまいとしては植物と動物で違っているが、信号の発生という細胞レベルで見れば驚くほどよく似ている。ヒトの神経への機械的刺激と同じく、植物の細胞への機械的刺激は細胞のイオンバランスを変え、その結果、電気的な信号が生まれる。動物の神経系と同じく、植物でもこの信号は細胞から細胞へと伝播し、カリウム、カルシウム、カルモデュリンなどの通路の開閉を調整しているのだ」。
植物の聴覚について。「数量的なデータを出せない以上、いまのところ、植物は『聞く』という感覚を進化の過程で獲得しなかったと判断すべきだ」。他の感覚とは異なり、植物にとって聴覚は進化上、必要でなかったのである。
植物の位置感覚について。「ヒトが平衡感覚の受容器として内耳に耳石を必要としているように、植物は重力を感じるために平衡石を必要としているのだ」。
「ニュートン力学のとおり、植物の各部位の位置はそこに作用する力のベクトルの合計で決まる。それにより、植物は自分がいる位置と、どの向きに生長すべきかを知る。ヒトも植物も、重力に似たような方法で対応しており、位置と平衡の情報はそれを知らせてくれるセンサーからとり入れている」。
植物の記憶について。「植物の記憶はヒトの免疫記憶と同様、タルヴィングの定義による意味記憶やエピソード記憶ではない。むしろ、手続き記憶にあたる。この種の記憶は外部刺激を感知する能力で決まる。タルヴィングはさらに、3層の記憶はそれぞれ関連する『意識のレベル』が違うと提唱した。手続き記憶は自分が何をやっているのかわからない無意識の記憶だ。意味記憶は自分が何をやっているか、どんな状況なのかがわかる意識的な記憶だ。エピソード記憶は、自分が経験したものを頭の中で組み立て直すというような自我意識のからむ記憶だ。植物には、意味記憶やエピソード記憶を可能にするような意識のレベルは存在しない。しかし、『手続き記憶に特徴的な最低レベルの意識(無意識)が外部刺激および内部刺激を感知しそれに対応できるという能力を指すのであれば、すべての植物および単純な動物には最低レベルの意識があるということになる』と主張する文献もある」。
私にとって個人的に興味深いのは、チャールズ・ダーウィンが息子のフランシスとともに、現在の植物学研究に繋がる一連の実験をしていること、しかも正しい結果を得ていることだ。
植物図鑑は植物の世界を広く知るために必要な本、本書は植物を深く知るために必要な本と言うことができるだろう。