15~16世紀のヴェネツィアに、真の意味で最初の出版人がいた・・・【情熱の本箱(250)】
『ヴェネツィアの出版人』(ハビエル・アスペイティア著、八重樫克彦・八重樫由貴子訳、作品社)は、私に3つの喜びを与えてくれた。
喜びの第1は、15~16世紀のヴェネツィアにアルド・マヌツィオという、出版の真の目的を実現すべく努力を重ねた出版人が存在したことを教えられたこと。
グーテンベルクによる活版印刷発明後、アルドは、イタリック体やギリシャ文字の活字の製造、持ち運びできる小型本・八つ折り判の考案、ノンブル(ページ番号)の付与、ギリシャ語・ラテン語の対訳書、図書目録の作成、ギリシャ・ラテンの古典作品を校訂(異本と照合し、よりよい形に訂正)しての出版などを行った改革者である。彼の偉大さについて、著者はこう語っている。「何よりも本と出版のあり方を変えたところだと思う。技術と生産性を重視する職人と商人が印刷事業の実権を握り、菓子のごとく本を作っては売っていた時代に、アルドは絶えず文学的意義から良書を出版する方法を模索し、常軌を逸した試みをいくつも打ち出した。アリストテレスの全集をはじめとする、ギリシャ文学の原典にこだわったのもその一つだし、みずから出版物の選定をし、校正をしていたことも当時としては革新的だった。彼は本当の意味で最初の出版人だったと言っていい」。
喜びの第2は、アルドが当時、カトリック教会から異端視された古代ギリシャの哲学書を出版することに命を懸けたこと。しかも、その哲学書が、私を死の恐怖から救ってくれたエピクロスの『愛について』と、その弟子ルクレティウスの『物の本質について』であったこと。
アルドの友人の哲学者ピコ・デラ・ミランドラのアルドに対する言葉。「その写本は、僕は一度も目にしたことがなかったが、キリスト教徒の魂にとって非常に有害だと噂に聞いていたディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』の第10巻、『エピクロスの生涯』以上に重要なのだと先生は言っていた。そんな経緯もあって、その写本『物の本質について』への僕の興味は増すばかりだったわけだ」。
「結局、一気に読んでしまった。ディオゲネス・ラエルティオスが勧めるエピクロスの多くの作品中、ほかでもない『愛について』。そこで述べられた愛の見方は衝撃的なものだと思う。僕らのギリシャ・ローマ文化、あるいはユダヤ・キリスト教文化、まあ何と呼んでも構わないが、その文化が好む、狭く乏しい見方を取り払い、本質を明かし世界を変える類のものだ」。
マリアと結婚後のこと。「その頃マリアはルクレティウスの詩『物の本質について』を愛読していて、出版を切望する素振りを見せた。そこで私は、彼女の父親の聴罪司祭がその本の出版を禁じている旨を説明し、当初はその詩に対する称賛を隠して、キリスト教徒の女性の読書には不適切な詩であると告げた。しかしマリアがその後もルクレティウスの詩やエピクロスの小論文について、崇拝の念すら抱きながら熱く語るものだから、ついに私も誘惑に逆らえなくなり、かろうじて残っていた『愛について』の一部分を彼女に手渡した。写本を目にした彼女は、私がそうであったように、無言で涙を流した。それから最初の一週間を読書に費やし、次の週を自分の手で書き写すのに費やした」。
『ギリシャ哲学者列伝』第10巻のエピクロス部分を翻訳したデジデリウス・エラスムスの言葉。「彼女(マリア)は正真正銘のエピクロス信奉者だ。私はそんな人間に出会った例(ためし)がない。彼女にとって魂は肉体とともに滅びるもの。それだけじゃなく、彼女は神の存在を信じていなかった」。私も、アルド、マリアと同じくエピクロス信奉者である。
喜びの第3は、老齢のアルドは同業の大手出版業者の策略にかかり、彼の18歳の娘・マリアと政略結婚させられるのだが、この奔放な娘との結婚生活が何とも特異的で、愛とは何かを考えさせられたこと。
「心身ともに妻が回復したと判断すると、アルドは自分が何度となく拒んできた行為を申し出た。彼女は快く夫を寝室へと招き入れ、そこで愛は育まれ熟成されていった。・・・確かなのはその日を境に、老いた不慣れな夫と若い熟練者たる妻が、かつてはそれぞれにとって不満、情熱、苦悩、飽満、不安の源だったものを受け入れ、認めたことで、二人ともが幸せになる術を学んだことだ。失われたエピクロスの写本の最終章に載っていた、いくつかの体位、それらを記憶していたアルドが、無器用ながらも実践したのは言うまでもない」。
そして、アルドはマリアから思いがけない話を聞かされる。「(結婚してもセックスを拒否し続ける)アルドを誘惑できないと悟ったマリアは、ルクレティウスの教えを応用し、自分の病的な愛の激情を一人に注ぐ代わりに分散させることにした。・・・マリアの不貞は、必ずしもトリスメギストスとの(アルドが目撃した)あの晩に始まったわけではなかった。(マリアの父)トッレザーニとマヌツィオの間で結婚の契約が成立して以来、マリアは自分の欲望を他の男たちで鎮めていた。彼らの会社や印刷所以外の男たちを選んでいたのは、もちろんばれた時に身近な者たちに影響が及んではいけないと考えてのことだった」。
本書は評伝という形を採用することも可能であったと思われるが、著者は敢えて小説という形式を選択している。アルドの出版上の功績に止まらず、彼の内面に肉薄するには、この選択しかなかったのだろう。
出版に携わる者、出版に関心がある者にとっては見逃すことのできない一冊である。