「見えないものを見る」という一大変革をもたらしたフェルメールとレーウェンフック・・・【情熱の本箱(273)】
これぞ読書の醍醐味だ、と感じさせる本が出現した。『フェルメールと天才科学者――17世紀オランダの「光と視覚」の革命』(ローラ・J・スナイダー著、黒木章人訳、原書房)の強烈な吸引力は、3つにまとめることができる。
吸引力の第1は、新しい光学機器、カメラ・オブスクラを覗き込み、光の効果をキャンヴァスに表現しようとした画家、ヨハネス・フェルメールの創作の秘密が克明に解き明かされていること。
「カメラ・オブスクラを通して見ることで、フェルメールは光の加減で世界の見え方が変わることを理解し、それを自分の作品で見事に表現した。彼は普通とは異なる驚きの新手法で世界を見て、不可視のものを明らかにした。顕微鏡と同様に、カメラ・オブスクラも肉眼では決して見ることができない自然界の真実を、17世紀の人々に見せつけた」。
「フェルメールはカメラ・オブスクラで見たものをただたんに描き写していたわけではないことはX線分析でわかっている」。
「フェルメールは自然哲学者のようにカメラ・オブスクラをつかって光の実験をして、光の特性を究明しようとした。その真の目的は『見せかけの現実』、つまり今で言うところの『仮想現実空間(VR)を創り出す技を習得することにあった。そしてそのVR空間を本物のように見せる手練手管を身につけようとしていたのだ。フィルメールは実験を通じて視覚という概念を究明した』。
「フェルメールは全神経を集中させてモデルの女性を観察し、『一個人としての』女性として見た。手紙を読んだり、言い寄られたり、楽器を演奏したり、家事にいそしんだりしている女性たちの、それぞれ独特の表情と動きと仕草を、フェルメールは捉えた。彼の描く女性たちには、古典様式やバロック様式の絵画にはない特徴がある。彼女たちは以前の時代の多くの作品に見られる、男性の視線を意識して美化された女性ではない。フェルメールがひとりの人間として見た、それぞれに個性のある女性なのだ」。
「フェルメールは光学現象の研究と、胸躍る光学機器をつかって我々に新たな光に包まれた世界を見せる方法の探究に、画家としての全生涯を捧げたのだ」。
吸引力の第2は、自作の顕微鏡を使い、人類で初めて微生物を発見した素人科学者、アントニ・レーウェンフックの生涯が生き生きと再現されていること。
「レーウェンフックは高性能の顕微鏡を製作し、その顕微鏡を巧みに駆使して微細な世界を白日の下に晒し、世界の見方を劇的に変えた」。
「のちにレーウェンフックは自作したレンズで『何百もの』顕微鏡を製作したと述べている。最初こそは簡単なビーズレンズだったが、すぐにガラスを研磨したり吹いたりしてレンズをつくるようになった。レーウェンフックは亡くなるまでに566台の顕微鏡を製作したとされているが、そのうち現存するものはわずかに9台のみだ」。
「レーウェンフックは生物に満ちた新しい世界の存在を知った。これまで見えなかった世界を、これまで想像すらしなかった世界を彼は目撃したのだ。そんな世界が飲み水のなかにあるということは、ひょっとしたら食べ物のなかにもあるのかもしれない。それどころか、人間の体内にも存在するかもしれない。レーウェンフックはそう考えたのだろう。ことにこの発見は、医学、醸造学、文学、生物学、解剖学、そして顕微鏡法といった、さまざまに異なる分野に奥深い意味を持つことになる」。
「レーウェンフックは自分が発見した小さな生物のことを『微小動物(アニマルクル)』と名づけた」。
「レーウェンフックは(90歳での)死の直前まで顕微鏡観察を続けた」。
吸引力の第3は、誕生日が1週間しか違わないフェルメールとレーウェンフックが、17世紀のオランダ・デルフトの、歩いて3分足らずしか離れていない場所で暮らしていたこと。そして、この二人が、デルフトという小さな都市から「見えないものを見る」という一大変革をもたらしたこと。
「フェルメールとレーウェンフックは知り合いだったにちがいない。それどころかふたりは友人同士で、レンズや光の作用の実験のことを語り合っていた間柄だった――何とも興味をそそられる説だ。ふたりとも1632年10月に誕生し、成人してから亡くなるまで、ふたりともアメリカンフットボールのフィールドほどの広さの場所に住まいと仕事場を構え、共通の友人知人がいた。そしてふたりが知己の仲だったことを何よりも物語るのは、フェルメールが(43歳で)亡くなったとき、レーウェンフックは彼の遺言管財人になったという事実だろう。ところが、ふたりが友人同士だったことを示す決定的証拠はないどころか、知り合いだったことを示唆する記録すら残っていない。フェルメールの家族が営む宿屋兼居酒屋で、彼らはビールを片手に光の作用と光学機器について語り合っていたのかもしれない。そんなことを想像してみるのも一興だが、ふたりの関係はそんな憶測を巡らせなくても充分に興味深い。ヘェルメールとレーウェンフックは、この時代のネーデルラントで起こった『ものの見方』の大革命の中心人物だったということこそが最高に魅力的なのだ」。
「『天文学者』と『地理学者』は、デルフト市の公認測量技師に任命された記念としてレーウェンフックが注文したとする見方もあるが、それを裏づける証拠はない。むしろこの一対の絵は、デルフトを含むネーデルラント連邦共和国全体に広まっていた『科学』に対してフェルメールが抱いていた、情熱とも言うべき強い関心を表明したものではないだろうか。研究にいそしむ自然哲学者を描いた2点の絵は、おそらく科学者としての新たな地位を得たことを祝いたいレーウェンフックからの注文ではなく、彼その人を描いた肖像画ですらなく、レーウェンフックのような人物を表現したものだと見るべきだろう。科学を賛美した絵だということはまちがいない。とくに、視覚経験を通して知識を得る科学を褒め称えているのだ」。
「大きな変化が生じたのだ。この変化で感覚の歴史は、『この時代以前』と『この時代以降』に分断された。自然界には肉眼では見えない部分があることを、人々は確信したのだ。その見えない世界は光学機器をつかえば見ることができることを人々は知った。そして光学機器をつかう場合であっても、人間に備わっている視覚系を用いる場合であっても、『見るための修行』を積む必要があることを理解するようになった。こうした考え方は、世界を理解する方法と、そして現代においては知識を獲得する手段の基盤となった」。
読み終えた今、本書に出会えた幸運をしみじみと噛み締めている私。