『古事記』では大きく扱われている出雲神話が、『日本書紀』にはほんの僅かしか記されていないのはなぜか・・・【情熱の本箱(343)】
『読み解き古事記 神話篇』(三浦祐之著、朝日新書)は、『古事記』の上巻に記されている神話の一つ一つを分かり易く解説している。定説と異なろうと、著者自身の解釈をズバッと押し出しているところが、注釈書と一線を画す魅力となっている。
私にとって、とりわけ興味深いのは、●イザナキが亡くなった妻・イザナミを連れ戻そうと黄泉の国に出かけて行った場面、●弟・スサノヲの乱暴な振る舞いに憤ったアマテラスが石屋に閉じ籠もり、高天の原も地上も真っ暗闇になってしまったので、困った神々が石屋の前でどんちゃん騒ぎをしてアマテラスを引っ張り出そうとする場面、●『古事記』では大きく扱われている出雲神話が、『日本書紀』にはほんの僅かしか記されていない理由――の3つである。
「火の中に浮かんだイザナミの姿は、原文に『宇士多加礼許呂呂岐弖』と一字一音で表記され、蛆虫が体にたかってゴロゴロと音を立てていると表現する。コロロキ(許呂呂岐)は音を立てているさまをいう擬音語で、蛆虫がザワザワ這いまわっている腐爛死体のさまが浮かんでくる。古代の人たちの死のイメージは、このように具体的な肉体の腐乱として存在する、それはまた蛆虫だけではなく、死体の8つの部位にうごめくイカヅチ(雷)というかたちで描かれていく。イカヅチは威力のある恐ろしいものの意で、その得体のしれない恐ろしいやつらが体にへばりついているというのである」。何とも生々しい表現に、背中がゾクゾクしてきた。
「アメノタヂカラヲ(天手力男神)が天の石屋の戸の脇に隠れ立ちて、アメノウズメ(天宇受売命)が、天の香山に生えたヒカゲカズラを襷にして、天のマサキカズラをかずらにして頭に巻いて、天の香山の小竹の葉を束ねて手草として、天の岩屋の戸の前に桶を伏せて、その上に立って足を踏んで轟かしながら神懸かりして、二つの乳房を搔き出して、解いた裳の緒を、秀処(ほと)におし垂れた」。「桶の上に立って、足でリズムを取りながら、神がかりしていくのである。そのさまは、まるでストリップだ。乳房を露わにし、下半身を覆う裳の紐を解き、その紐を秀処の辺りまで押し垂らしたというのだから」。秀処は、女性器を意味する古語である。
「天の石屋にアマテラスが籠もるのは、日食ではないかとか、一日の昼と夜の運行を表すのではないかなど解釈は分かれるが、自然の運行のなかでの太陽の死と再生ということから考えれば、北半球の人びとにとっては、冬至というのがいちばんわかりやすいのではないか。太陽の勢いが徐々に弱まり、日照時間が短くなって太陽が衰える、人びとがそう考えるのが冬至であった。そこで人びとは、太陽を蘇らせようとしてさまざまな儀礼を行う。その冬至の儀礼によって、太陽は生き返ってくる。そのように考えるのが、この神話の背景としてはいちばんわかりやすい」。私は日食説を支持してきたが、この冬至説は説得力がある。
「古事記が大きな分量を割いて語ろうとした出雲の神がみの物語を、日本書紀は一書の一部を除いてまったく取りあげようとはしていない。それは、律令国家にとって出雲という世界は、山陰道の一国であり、特別な世界としてあったのではないという主張だとみればいい。ところが、オホクニヌシの制圧に関しては、日本書紀も黙殺することはできなかった。なぜなら、そのあとの天孫降臨というもっとも重要な神話を語るための露払いのような場面がほしいからである」。
「出雲制圧の背後には、ヤマトと出雲とのあいだに生じたらしい、歴史的な何らかの対立葛藤が窺える」。
「スサノヲが地上に降り、出雲でヤマタノヲロチ(八俣遠呂智)を退治したあとの物語は、すべて出雲を舞台にして、出雲の神がみの活躍と滅びを語ってきた。その分量たるや、古事記神話の4割を超している。なぜ、これだけ大きな割合を占めて出雲の神がみの物語を語らなければならなかったのか、そこに古事記という作品の本質があるのだとわたしには思われる。古事記というのは決して、アマテラスや天皇たちだけに向いて語られ描かれた書物ではないのだとわたしは主張し続けている。そこには、滅びへの眼差しが濃厚に窺えるからである。神話におけるオホクニヌシがその典型であり、中巻や下巻においても、ヤマトタケル(倭建命)やマヨワ(目弱王)に代表される志半ばで死んでしまう御子たちや人びとに、語り手の視線は向き合っている。日本書紀に、そうした認識がまったく窺えないのは、国家の正史として当然だと言える。そうしたあり方の違いを通してみた時、古事記の位相は明らかになるはずである。そして、そうでありつつ、最終的には天皇の地上支配という結末へと向かって神話は収束する。それが現実ということなのであろうか」。この古事記解釈は、私の胸に響いた。