榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

フランスの王政復古期の貴族の結婚は、持参金が物を言う世界だった・・・【情熱の本箱(360)】

【ほんばこや 2021年5月3日号】 情熱の本箱(360)

「読書クラブ 本好きですか?」の読書仲間の鷹野和美さんに薦められた『明日は舞踏会』(鹿島茂著、中公文庫)を手にした。オノレ・ド・バルザックの『二人の若妻の手記』を材料に、当時のヒロインたちのパリの日常を垣間見ようという試みである。

「『二人の若妻の手記』は、王政復古の時代に、ブロワのカルメル修道院の寄宿舎を出て、ともに希望に燃えて人生のスタートを切ったふたりの乙女、すなわち、パリの名門貴族の娘ルイーズ・ド・ショーリューと、プロヴァンスの貧乏貴族の娘ルネ・ド・モーコンブという親友同士が、それぞれ親の家に引き取られてから取りかわす書簡体小説の体裁を取っている。なかでも、ルイーズ・ド・ショーリューが母親の指導よろしきを得て、社交界にデビューし、情熱的な恋愛の末にスペイン貴族と結ばれるまでをルネ・ド・モーコンブに逐一報告する第一部は、ボヴァリー夫人のようにパリの社交生活に憧れる読者にとっては、まちがいなく、社交界のガイドブックのようなものとして読まれていたものと想像できる」。

当時の貴族の結婚とは、どういうものなのか。「19世紀の前半には、結婚は基本的に、家と家、というよりも、金銭と金銭の結合にすぎなかった。もちろん、ひとぐちに金銭といっても、このうちには有形無形の財産が換算される。たとえば、由緒ある家柄というのは、そしてそれが王家につながるような貴族であれば、換算ポイントはきわめて高い。さらに女性の場合、美貌は当然、大きなポイントである。これに、若さが加わればいうことはない。つまり、もっとも高得点をあげえる花嫁候補は、まず由緒正しい貴族の家柄で、持参金もたっぷりとあり、若く、美貌であるという条件を兼ね備えた女性だろう。不思議なことに、気立ての良さというのはほとんどポイントにならない。だが、貴族社会といえども、その条件をすべてクリアーできる女性などそうそういるわけではない。『二人の若妻の手記』の主人公ルイーズ・ド・ショーリューなどは、亡命帰りの貴族の例にもれず、持参金の面で多少見劣りするというマイナス・ポイントはあるものの、この条件にほぼかなった数少ない例外である。当然、どんな女性でも、かならずどれかが欠けている。たとえば、ルイーズ・ド・ショーリューの親友のルネ・ド・モーコンブは、若く美貌で、家柄も、地方貴族でまずまずだが、肝心の持参金がほとんどない。したがって、換算ポイントは低く、そのポイントに見合った相手を探すしかない」。

「単純なポイント制からいった場合、我らがヒロインにふさわしい相手は2種類ある。ひとつは、貴族で資産家だが、若さと美貌がない男。もうひとつは、貴族で、若さと美貌には恵まれているが、資産のない男。・・・だが、たいていの場葦、持参金のない我らがヒロインたちの相手となるのは、前者のほう、つまり、貴族で資産家だが、もう若さも美貌もない男。はっきりいえば、あとは死ぬのを待つだけの60歳の老人だ(当時は人生50年の時代である)。・・・いずれにしろ、我らがヒロインたちは、両親にいい含められて結婚に同意する。お前はまだ18だ。相手は60だから、せいぜい5、6年がまんすれば、財産も家柄もお前のものになる。いや、5、6年とはいわない。子供さえつくってしまえば。あとは他人として暮らしていいのだ。恋人をつくろうが、なにをやろうがお前の勝手だ。そういうしきたりなのだからね。実際、19世紀の貴族社会では、それがしきたりだったのである。恋も愛も、すべては、結婚したあとにやってくることになっていた。いったん結婚してしまえば、そして、とくに子供ができれば、よほどお互いに惹かれあうものがないかぎり、同じ屋根の下に住みながら、夫婦は、赤の他人よりも他人だった」。

「女性ははるかに年上の男性と結婚して、若い(おそらくは財産のない)愛人をもち、やがて、夫が亡くなったあとはこの若い男性と結婚する。そして、次に、今度はこの女性が亡くなると、男性は財産を譲りうけて、若い女性と結婚する。持参金のない我らがヒロインの相手となるのは、じつは、こうした循環を経たのちの男性だったのである。それにしても、この生涯二度の結婚システム、なかなかうまくできていると思いませんか」。

「外部から隔離された修道院の寄宿学校で、恋と結婚についての夢を無限にふくらませ、社交界や舞踏会にあこがれていたルイーズ・ド・ショーリューとルネ・ド・モーコンブ。このふたりが修道院を出たあとにたどった人生の軌跡はあまりに対照的だった。持参金がないゆえに、親に勧められた相手との気に染まぬ結婚を承諾したその日から、恋愛というものをきっぱりとあきらめて、単調な主婦生活の中で、夫の出世と、子供の成長を頼りに、幸福になる手段を見つけてゆこうと努めた良妻賢母型のルネ・ド・モーコンブが人生において与えられた『愛』の総量を細く長く使ってゆこうとするタイプであるとすれば、いっぽうのルイーズ・ド・ショーリューは、太く短く『愛』を燃焼させずにはいられないファム・ファタル型の女だった。ルイーズは、いわば『フル・スロットルの恋』に生き、『瞬間速度の幸福』で自らを駆り立てなければ満足できない『破滅型の愛の天才』だったがゆえに、その人生は短距離走で終わるほかなかったのである。・・・人生が理性だけですべて解決できるものなら、そんなものは人生ではないし、生きる価値もない。ルネの人生も女の一生なら、ルイーズの人生もまた見事な女の一生だったのである」。

もし、私が貴族の娘ではあっても、美貌も持参金もない立場だったらと想像するだけで、絶望のあまり、激しい眩暈に襲われそうだ。