榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

榎戸誠の個人的・出口治明フェスティヴァル(1)・・・【リーダーのための読書論(61)】

【榎戸誠の情熱的読書のすすめ 2015年12月5日】 リーダーのための読書論(61)

現役実業家の中で群を抜いた読書家はライフネット生命の会長兼CEOの出口治明氏だと思う。これまで氏ならびにパートナーの社長兼COOの岩瀬大輔氏の著作には敬服の念を抱いてきたが、このほど、出口氏の講演会を聴講し、直に会話を交わしたことで、氏の温かい人間性を実感することができた。facebookで「友達」になれたことを記念して、敢えて出口氏に断りを入れず、勝手に「榎戸誠の個人的・出口治明フェスティヴァル」をfacebook上で開催することに決めた。第1弾は、「営業とは他人ができないことをやること、それも、自分にしかできない形で・・・【MRのための読書論(69)】」。

★営業とは他人ができないことをやること、それも、自分にしかできない形で

日本初のネット生命保険会社
ライフネット生命保険という日本初のネット生命保険会社を立ち上げた岩瀬大輔の『ネットで生保を売ろう!――’76生まれ、ライフネット生命を立ち上げる』(岩瀬大輔著、文藝春秋)は、どの業種のビジネスパースンにとっても実に多くのヒントが詰まっている。

2006年当時、生命保険業界の誰もが成功するはずがないと断言したネット生命保険。この途方もない難題に取り組んだのは、傍流に飛ばされた58歳の元・日本生命エリートの出口治明と、東大法学部在学中に司法試験に合格したがその道には進まず、卒後、ハーヴァード大経営大学院を成績上位5%に入る好成績で修了したものの、保険にはずぶの素人の岩瀬大輔、30歳。

免許交付までの日々
第1の関門は、投資ファンドの百戦錬磨の金融のプロたちに新事業のビジネス・プランをプレゼンテーションして、出資を決定してもらうことであった。この時の基本メッセージは、「●我々のビジネスモデルは絶対に正しい、●他方で、現実のカベは、途方もなく厚くて高い、●我々には、このカベを乗り越えて『飛躍』を実現するために必要な、天の時、地の利、人の和がそろっている。我々なら、必ずや『飛躍』が実現できる」。

第2の関門は、金融庁の長期間に亘る、詳細かつ厳しい審査をクリアして、新会社設立の認可を取得することであった。既存の保険会社の後ろ盾もなく、独立系生命保険会社として74年ぶりの認可を得ること、しかもネット生命保険という、これまで存在したことのない形態の生命保険会社として認可を得ることが、どのくらい大変なことか。その苦闘の日々がヴィヴィッドに描かれている。何しろ、金融庁に免許申請をするには、1000ページを超える膨大な書類を作成しなければならないといわれているほどなのだ。

第3の関門は、新会社に投資してくれる企業、すなわち株主となってくれる企業を増やすことであった。各社の担当者はプロ中のプロなので、ミーティングではいくつもの厳しい質問が千本ノックのように飛んでくる。宿題として持ち帰っては報告する、という作業が繰り返される。この資金調達のための交渉は、金融庁との折衝と並行して続けられたのである。

第4の関門は、人材の確保であった。紆余曲折を経験しながら、それぞれの得意技を有する人材を採用していく。

そして、遂に2008年3月、金融庁からの予備免許を手にすることができたのである。

さらなる飛躍を目指して
2008年5月の開業後も、苦戦の日々が続く。マスコミへの露出や広告に積極的に取り組むが、保険契約増加にはなかなか結びつかない。その上、ライヴァル企業が値下げ攻勢をかけてくる。ネットからの撤退も考えるべきと主張する幹部まで現れる始末だ。ここで、岩瀬はどういう手を打ったのか。

先ず、ネット生命保険の顧客にとってのメリット――流通コストを省くことで安い保険料を実現していること――をシンプルに訴求する。次に、全社員が一丸となってのチラシ配り大作戦を展開する。さらに、山手線等の車内に4枚並びのパネル広告を思い切って出稿する。

そして、決定打となったのが、自社の生命保険の「原価」開示という業界のタブーへの挑戦であった。業界から怨嗟の声が上がったが、「原価」という機密情報から遮断されていた消費者からは歓迎され、ライフネット生命保険の知名度・認知度が大きく向上したのである。

岩瀬は、この後も、お金をかけずにすむマーケティング施策を次々と繰り出す。その1つが、「調査PR」で、旬な話題についてアンケート調査を実施し、その結果をマスコミに配布すると、「ライフネット生命調べ」という形で社名の露出に繋がるというもの。本の出版にも精を出した。有力ブロガー20名を集めて質疑応答を行い、それぞれのブログでライフネット生命を取り上げてもらうことも試みた。これらのさまざまな努力が、2009年3月の週刊ダイヤモンドの生命保険ランキング1位に結実するのである。