夏目漱石の妻・鏡子は「悪妻」ではなかった――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その75)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(162)】
【読書の森 2024年4月28日号】
あなたの人生が最高に輝く時(162)
●『夏目漱石から読み解く「家族心理学」読論』(亀口憲治著、福村出版)
『夏目漱石から読み解く「家族心理学」読論』(亀口憲治著、福村出版)は、意外な掘り出し物であった。不登校や家庭内暴力の問題に苦しむ家族を対象に「家族療法」を実践している臨床心理学者の著書が、家族心理学のケース・スタディとして夏目漱石とその家族を取り上げたところに、この書の特異性がある。
今の高校生の年齢だった漱石が約1年半の間、不登校の状態にあったこと、そして友人との出会いをきっかけに立ち直ったことが述べられている。
漱石と妻の鏡子は、10歳の年齢差に加えて、何事にも几帳面で朝型の夫と、何事にも鷹揚で夜型の妻の組み合わせということで、平穏至極というわけにはいかなかった。著者は、漱石の3作品、『門』、『道草』、『明暗』に登場する夫婦を漱石夫妻の反映と見做して、考察を進めている。
鏡子が3人目の子供の妊娠中の悪阻(つわり)で苦しんでいる最中に、漱石が精神的に不安定になり、不害妄想に駆られて妻に離婚を迫る出来事があり、妻側の親類がその状況を心配し、実家に戻るよう強く勧めた時、鏡子は実母にこう告げている――「夏目が精神病ときまればなおさらのこと私はこの家をど(退)きません。なるほど私一人が実家へ帰ったら、私一人はそれで安全かもしれません。しかし子供や主人はどうなるのです。病気ときまれば、そばにおって及ばずながら看護するのが妻の役目ではありませんか」。涙を流しながら実母に必死の覚悟を語る彼女は、当時まだ26歳の若さだったが、世間から貼られた「悪妻」のレッテルと実像がいかに異なっていることか。
漱石没後10年目に鏡子が語った『漱石の思い出』(夏目鏡子・述、松岡譲・録、文春文庫)を、無性に読みたくなってしまった。