「異端」として葬り去られた『ユダ福音書』の驚くべき内容――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その60)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(147)】
●『「ユダ福音書」の謎を解く』(エレーヌ・ペイゲルス、カレン・L・キング著、山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社)
私が仏教やキリスト教に関する書籍を読むのは、その教義を信じているからではなく、新しい宗教を創始した釈迦、イエスという歴史上の人物の言動に興味があるからである。そして、彼らの当初の教えが大きく変貌していく仏教形成史、キリスト教形成史に関心を抱いているからである。
この意味で、『「ユダ福音書」の謎を解く』(エレーヌ・ペイゲルス、カレン・L・キング著、山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社)は、非常に読み応えのある一冊だ。
「イスカリオテのユダを主人公とする伝説の福音書が発見されたとの噂を耳にしてから、かれこれ20年以上が経過していた。2006年4月、米国地理学協会はついに、考古学上の一大発見があったことを公表した。わたしたちは今日、1970年代のある時期に、2世紀のギリシア語本文からコプト語に翻訳された『ユダ福音書』の写本がミニヤ県に近いエジプト中部で発見されたことを知っている」。
「『ユダ福音書』のもつ特別な意義は、ユダの裏切りとイエスの教えの意味をめぐる2世紀のキリスト教徒たちの生き生きした論争の実態を垣間見させてくれるところにある」。
『ユダ福音書』の著者は、正統派キリスト教が絶対視している「神がイエスと彼の信奉者たちの血による犠牲の死を欲しているという信仰」に、激しい怒りを表明している。正統派キリスト教の指導者たちは、「信者たちにたいしては、いかなる迫害にも屈することなくしっかりと立つように励まし、不信仰者たちにたいしては、キリスト教信仰がいかに確固不動であるかを認識させるために、殉教者を英雄として賞賛する話を書いた。このような指導者たちは、殉教を美化する多くの著作を書き残し、それらは、今もキリスト教徒のあいだで広く読まれている」。「キリスト教の伝統的歴史は、もっぱら勝ち組(=マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネによる福音書)の観点から記述されている。勝ち組は、他のさまざまな声(=ユダによる福音書など)を封印し、あるいは、曲解し、彼らの諸文書を破棄し、自分たちと意見の合わない者はすべて危険かつ頑迷な『異端』として摘発し、弾圧することに成功した」のである。
『ユダ福音書』は、正統派キリスト教では、師のイエスを裏切り、ローマ帝国の手先であったユダヤ総督にイエスを売り渡したとされるユダが、実はイエスの真意を理解した唯一の弟子であるとしている。一方、イエスの教えを正しく伝える弟子として崇められてきた十二使徒は、イエスの深遠な教えを理解できなかった者たちだと厳しく告発している。
「いったい、(『ユダ福音書』に登場する)イエスはなぜ怒るのか。誰に向かって怒るのか。殉教者を神に喜ばれる犠牲者であると賛美し、生贄をともなうユダヤの神殿儀礼を礼拝の中心にとり戻そうとする弟子たちに向かってである。そうした弟子たちの指導者の中には、辱めや拷問に耐え、公開処刑さえも引き受けることを推奨する者もいた。イエスの怒りは、そうした弟子たちに向かって炸裂している」、「殉教者の数が多ければ多いほど、教会の名声は高められ、おそらく祭司たちの位階は上昇し、(その背後にいる)権力者の究極の勝利が現実に約束されるものとなる」と、訳者・山形は手厳しい。
もう一人の訳者・新免も、「『ユダ福音書』は、動物犠牲のイメージが深く刻印された贖罪論を原理的に問い直している貴重な古代キリスト教文書の一つです。『ユダ福音書』は、贖罪論と結びつけて迫害下での肉体的犠牲を奨励する教会指導者たちの見解にたいして並々ならぬ怒りを表明しています。それだけではなく、イエスの犠牲の死を強調する正統派キリスト教の論理に抗い、やがては見る影もなく朽ち果てる肉体の限界を突き破る霊的救済への道が提示されています」と述べている。『ユダ福音書』は、まさに、「神のために死ぬ=殉教」という論理に対する怒りの書なのである。