いつかやって来る「死」について、おたおたしながら考える――エピクロスの言葉が、私を死の恐怖から救ってくれた――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その30)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(117)】
●『エピクロス――教説と手紙』(エピクロス著、出隆・岩崎充胤訳、岩波文庫)
【哲学と死】
哲学にとって一番重要な主題は、「死」をどう考えるかだと、私は考えている。来てほしくないのに、必ずやって来るのが「死」であり、「死」を考えることは限りある「生」をいかに生きるかということに直結するからである。多くの哲学者が「死」以外の事柄を探究しているのは、「死」の恐怖から逃れたい、一時的であっても「死」を忘れて過ごしたいという思いが根底にあるからだと、私は勘ぐっている。
【エピクロスの言葉】
古代ギリシャの哲学者・エピクロスの「私が存在する時には、死は存在せず、死が存在する時には、私はもはや存在しない」という言葉を知った時、私は長年悩まされてきた死の恐怖から解放されたのである。
先ず、私たちは自分の抱いている死の恐怖を正直に認めなくてはならない。次に、死を恐れることは理屈に合わないと認めなくてはならない。死んだ人間には感覚が一切なく、母胎に宿る前の状態と同じだ。従って、死んでいることは存在していないことと変わりない。自分が生まれる以前のことを怖がる人はいないのに、なぜ死を思い悩むのか。私たちの生涯が始まる前の何十億年に亘って支配していたのと全く同じ無感覚状態なのだ。一度このことに気づけば、死の不安はなくなる。死に対する恐れは、想像力が生み出す妄想に過ぎない。
死の恐怖にどう対処するかは、人によってそれぞれであろうが、私自身は、このエピクロスの考え方に沿って生きよう、そして死を迎えようと、自分なりの覚悟ができた。エピクロスのおかげである。
【メノイケウスへの手紙】
エピクロスの死に対する考え方は分かったが、彼自身が彼の手紙や著作の中で、どのように表現しているのかを知りたくなって、『エピクロス――教説と手紙』(エピクロス著、出隆・岩崎充胤訳、岩波文庫)を手にした。
「メノイケウス宛ての手紙」の中で、こう述べている。「死は、もろもろの悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが、じつはわれわれにとって何ものでもないのである。なぜかといえば、われわれが存するかぎり、死は現に存せず、死が現に存するときには、もはやわれわれは存しないからである。そこで、死は、生きているものにも、すでに死んだものにも、かかわりがない。なぜなら、生きているもののところには、死は現に存しないのであり、他方、死んだものはもはや存しないからである」。
【主要教説】
「主要教説」には、このような記述がある。「死はわれわれにとって何ものでもない。なぜなら、(死は生物の原子的要素への分解であるが)分解したものは感覚をもたない、しかるに、感覚をもたないものはわれわれにとって何ものでもないからである」。
【原子論】
エピクロスの哲学は、原子論、すなわち唯物論に立脚している。エピクロスの著作に直に接することによって、エピクロスが世に喧伝されている「エピキュリアン(快楽主義者)」などではなく、現代人と見紛うほどの科学的精神の持ち主であったことを知ったのである。