愛と情熱に関する一章――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その21)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(108)】
●『初恋』(イワン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフ著、米川正夫訳、岩波文庫)
●『友情』(武者小路実篤著、新潮文庫)
●『即興詩人』(ハンス・クリスチャン・アンデルセン著、大畑末吉訳、岩波文庫、上・下巻)
●『雲の宴』(辻邦生著、朝日文庫、上・下巻)
●『木もれ陽の街で』(諸田玲子著、文藝春秋)
【恋愛とビジネス活動の共通項】
人を好きになってしまう、愛してしまう恋愛と、得意先のターゲットに対するビジネス活動とは、自分の大切な人とどう向かい合うかという点で、多くの共通項を有している。ビジネスパースンは、上質の恋愛小説から恋愛心理やビジネス活動の機微にとどまらず、さまざまなことを学ぶことができると思う。上質か否かを見分ける方法――折に触れて読み返したくなるのが、上質の恋愛小説である。
【恋愛小説の古典】
『初恋』(イワン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフ著、米川正夫訳、岩波文庫)は、読むたびに甘酸っぱい香りがする、ツルゲーネフの自伝的小説。年上の美しい女(ひと)に対する少年の苦しいまでの憧れ。女王のごとき、その女が愛を捧げた男の正体を知った時の、少年の驚き。
『友情』(武者小路実篤著、新潮文庫)は、私に恋の何たるかを教えてくれた、忘れられない一冊。美しく清楚な女性に恋い焦がれている男のもとに、恋の悩みを聴いてくれ、励ましてくれた親友から送られてきた驚くべき告白の手紙。「私の一生も、名誉も、幸福も、誇りも、皆、あなたのものです」と必死に訴える、恋する女のいとおしさ。
【恋愛小説の極致】
『即興詩人』(ハンス・クリスチャン・アンデルセン著、大畑末吉訳、岩波文庫、上・下巻)は、アンデルセンの自伝的要素が濃い、イタリアを舞台に繰り広げられる、アントーニオと薄幸のオペラ女優アヌンツィアータとの悲恋の物語。
人気の絶頂にあるアヌンツィアータに人々が熱狂する様は、「あらしのような拍手のうちに幕がおりました。わたくしたちはみな、このすぐれた女優の美しさに、その名状しがたい美しい声に、われをわすれて感激しました」。時を経て、ほんの気晴らしのつもりで足を踏み入れた、旅先の安っぽい小さな劇場の舞台にアントーニオが発見したのは、なんと、一日も忘れることのなかった、かつては一世を風靡したアヌンツィアータの落ちぶれ、変わり果てた姿ではないか。この作品は、本物の小説が持つおもしろさをたっぷりと味わわせてくれる。上質の文学に触れる快さを満喫させてくれる。
『雲の宴』(辻邦生著、朝日文庫、上・下巻)は、私にとって究極の恋愛小説である。アフリカの新興国に革命の夢を追う男と、彼に思いを寄せるジャーナリスト志望の2人の女性の愛と死が、東京からパリ、東欧から西アフリカへと壮大なスケールで展開する。
「私ね、エレーヌを見ていると、人間の幸福って、いい家に住むことでも、お金持ちになることでも、立身出世をすることでもなく、心が満たされることだ、って思えてくるの。エレーヌは、死んだ恋人が、心に生きていて、それで十分に心が満たされているって言うの」、「この世って、心なんだな、と思ったの。すべて心なのよね、この世の幸不幸を決めるのは。物がいくらあったって、心が不満なら、ぜったいに人間て幸福にならないもの」――この著者の文章は格調高く、内容に深みがあって、素晴らしい。私の一番好きな現代作家である。
この作品を読むと、生きるってことは、心を弾ませることなんだな、ということがよく分かる。そして、人生には金や名誉よりも大切なものがあることに気づかせてくれる。
【恋愛の展覧会】
『木もれ陽の街で』(諸田玲子著、文藝春秋)は、昭和26年から27年にかけて、武蔵野の面影が残る東京の郊外・荻窪で、さまざまな恋愛が繰り広げられる、「恋愛の展覧会」のような小説である。陽光溢れる街にも暗がりがあるように、人の数だけ恋があり、恋の痛みがある。若きヒロインは「自分から飛び込まなくては愛は成就しない。愛とは、自分の手でつかみ取るもの」であることを学ぶのだが、ビジネス活動も同じである。この作品の意外な結末は、ミステリーの趣があり、著者の並々ならぬ力量が窺われる。私事に亘るが、この作品では、私が22歳までを過ごした当時の荻窪の住宅街(ヒロインの家は、我が家から徒歩3分)の雰囲気がリアルに表現されている。