書評とは、作品という大八車を後ろから押して応援するものだ――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その102)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(189)】
●『ニッポンの書評』(豊﨑由美著、光文社新書)
友人から「書評を書くときの参考書を教えてほしい」と言われたときは、百目鬼恭三郎、谷沢栄一、向井敏、松岡正剛、呉智英、米原万里、佐藤優らの書とともに、『ニッポンの書評』(豊﨑由美著、光文社新書)を薦めることにしている。
「わたしの考える書評は作品という大八車を後ろから押してやる『応援』の機能を果たすべきものです。自分が心の底から素晴らしいと思った本を、簡にして要を得た紹介と面白い読解によって、その本の存在をいまだ知らない読者へ手渡すことに書評の意味と意義があるんです」という著者の姿勢に共感を覚えるからである。
著者の、「批評と書評はまったくの別物と考えているのです」、「粗筋紹介も立派な書評」、「情報も大事、作家/作品へのリスペクトも大事。でも、読み物としての面白み(芸)も、わたしは書評の重要な要素のひとつだと思うのです」、「読者の『読みたい』を引き出せるか」、「書評には『その人にしか書けない』というものも存在するのです」、「わたしは『1Q84』の書評を書くつもりはありません」といった考え方にも同感だ。
「トヨザキ流書評の書き方」も参考になるが、痛快なのは、書評家たちの実名を列挙して、特A~Dの5段階で評価した「新聞書評を採点してみる」である。
『ニッポンの書評』に触発されて、自分の場合はどういう姿勢で書評を書いているのか、振り返ってみたことがある。
第1に、けなすことをしない。というよりも、惚れ込んで、広く読まれるべきと確信した本の書評しか書かないということだ。
第2に、引用を恐れない。著者自身の生の言葉を伝えることで、その本の魅力を知ってもらいたいからだ。引用することによって、内容の伝達にとどまらず、その著者の語り口や持ち味も伝えることができると考えている。
第3に、著者が言いたいことを要約する。榎戸の書評は内容の要約が多過ぎるという意見があるかもしれない。この本を読んでほしいのはやまやまだが、いろいろな事情で読む時間がない人にも、著者が伝えたいことのポイントだけは知ってもらいたいと念じているからだ。