榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『三本の矢』は、まるで怪人二十面相のような作品だ――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(その305)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(392)】

【読書の森 2024年12月12日号】 あなたの人生が最高に輝く時(392)

●『三本の矢』(榊東行著、早川書房、上・下巻)

三本の矢』(榊東行著、早川書房、上・下巻)は、怪人二十面相のような作品である。ある時は経済小説、ある時は推理小説、また、ある時はシミュレーション小説というように、ざっと数えただけでも7とおりの楽しみ方が可能である。

1.経済小説として――全ては大蔵大臣の失言から始まった。国会の予算委員会において、予てから経営難が噂されている日本不動産金融銀行の状況は「極めて危険なレベルに達しつつある」と、蔵相が答弁してしまったのだ。議場は騒然とし、記者たちはニューズを社に報ずべく出口に殺到する。日本不動産金融銀行は倒産に追い込まれ、未曾有の金融パニックが日本全土に波及する。大蔵省は対応策を策定すべく、緊急対策グループを編成し、事態収拾に向けて動き始める。

フィクションの形を取りながら、我が国が直面する金融危機の実態が、具体的に、生々しく描かれていく。日本の金融システムが音を立てて崩れ落ちていく凄まじさを実感することができる。新聞の日々の断片的な報道では分かり難い全体像がくっきりと見えてくる。この作品は、その迫真性において、従来の経済小説を遥かに凌駕している。

2.推理小説として――事件の陰に、驚くべき事実が隠されていた。蔵相が読み上げた答弁書の中身が、何者かの手によって差し替えられていたのだ。ということは、蔵相の問題発言は「失言」などではなく、周到に仕組まれた陰謀だったことになる。いったい誰が、何の目的で。そこで、一人の若き大蔵官僚が「蔵相失言事件」の犯人捜しを命じられる。しかし、与えられた時間はあまりにも少ない。一両日中には、失言に端を発した金融パニックへの対応策が政府から発表される。その前に犯人を突き止め、犯行の目的を明らかにしなければならない。やがて、事件の裏に潜む謎の人物が目論む経済クーデタ計画が立ち現れてくる。

探偵役の大蔵官僚は、動機(演繹的な推理)と物証(帰納的な推理)の二方向から犯人を絞り込んでいく。しかし、タイム・リミットが設定されているため、犯人と戦いながら、時間とも戦わなければならない。その犯人の意外性、結末のどんでん返し、全篇に漲るサスペンスのどれを取っても、この作品は一級の推理小説たり得ている。

3.シミュレーション小説として――日本の金融危機は、この先、どうなるのか。この作品は、金融危機の実態を剔出し、問題点を浮き彫りにした上で、日本の金融システムはどうあるべきかをシミュレートしている。この危機管理のシミュレーションには、コンプレックス(複雑系)理論を初め、最新の経済学、政治学、政治経済学の理論が総動員され、縦横に駆使されている。その知識の広さ、造詣の深さもさることながら、高度な知識を読者に分かり易く説明する著者の力量は見事と言わざるを得ない。

4.政治小説として――日本の国会答弁はいかに形式だけで中身がないか。政治家がいかに選挙を気にしているか。政・官・財がいかに強固にもたれ合っているか(タイトルの「三本の矢」は、このことを象徴している)。政策はどのような過程を経て決定されるのか。これらの実態がいずれも具体例で示されるので、政治小説としても十分楽しめる。さらに、民主主義が本当にベストの政治体制か、といった根本的かつ刺激的な問題も論じられているので、知的興奮も味わうことができる。

5.官僚論として――「官僚の中の官僚」と自他共に認める大蔵省の財政部門(主計局)と金融部門(銀行局)の対立、官僚個々人の理想と現実、大蔵省・日本銀行・都市銀行・長期信用銀行間の微妙な関係と歴然たる序列などの描き方は、さすが当時の現役官僚の手に成るだけあって臨場感に富み、その官僚論は説得力がある。その後、省庁の組織変更等が実施されたが、官僚の本質的な部分は依然として変わっていない。因みに、著者紹介には「東京大学、ハーヴァード大学等を経て、現在某省庁課長補佐」と記されている。また、企業に籍を置く私たちの場合は、豊富な事例で組み立てられた組織論として応用することも可能である。

6.マスコミ論として――著者は、探偵役の大蔵官僚に、「マスコミの政府批判は相変わらず調子よかったが、どうやってこの危機に対応すべきか、ということになると、各紙ともいつものようにいきなりトーンダウンする」、「マスコミは政策を提案しようとしない。なぜなら、そうするとなるときれいごとばかり言っていられなくなるからだ。福祉拡大の話をすれば増税の話もしなければならなくなる」と語らせているが、思わず、頷いてしまう人が多いことだろう。新聞から日々の情報を得ることは必要だが、論説記事を鵜呑みにすることは考え物である。

7.長篇小説として――上記の1~6のような楽しみ方でなく、単なる長篇小説として楽しむことも、もちろん可能である。

いずれにしても、あなた自身の楽しみ方を見つけてほしい。それに十分応えられる実力を備えた作品だと確信している。本作品は26年前に刊行されているが、真に優れた作品は、時を経ても、その輝きを失うことはないのだから。