榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ムンクの「叫び」は叫んでいるのか、耳を塞いでいるのか ・・・【山椒読書論(160)】

【amazon 『ムンクの世界』 カスタマーレビュー 2013年3月18日】 山椒読書論(160)

ムンクの世界』(新人物往来社編、新人物往来社)は、3つのことを教えてくれた。

第1は、エドヴァルド・ムンクの有名な「叫び」の絵は、1枚だけでなく、何枚もあるということ。

「ムンクは同一テーマを何度も繰り返して描き、主要作品を手放す時は必ずもう1枚描いたと言う。それは、コピーではなく、原体験へと帰り沈潜する行為で、いわば、魂の告白を繰り返す行為といえるだろう」。

第2は、「叫び」の絵は、絵の人物が手をメガホンのようにして叫んでいるのだと思い込んでいたが、実際は、叫びを聞いた人物が耳を塞いでいるのだということ。

ムンクは、保養地ニースで、血のような夕日を目にしたことで、故国ノルウェーのオスロ・フィヨルドに太陽が沈む強烈な情景を思い出し、悪戦苦闘の末に、このイメージを画布に結実させたのだ。1892年1月22日の日記に、「2人の友人と道を歩いていた。太陽が沈み、ものうい気分におそわれた。突然、空が血のように赤くなった。私は立ち止って手すりにもたれた。とても疲れていた。そして見たのだ、燃えるような雲が群青色をしたフィヨルドと街の上に、血のように剣のようにかかっているのを。友人たちが歩み去ってゆくが、私は恐怖におののいてその場に立ちすくんだ。そして聞いた。大きな、はてしない叫びが自然をつらぬいてゆくのを」と記している。

第3は、「叫び」で描かれている顔から勝手に想像していたムンクの顔と実際の顔が全然異なっていたこと。

「女の仮面の下の自画像」「タバコを持つ自画像」「ワインボトルのある自画像」「医師ヤコブセンの病院での自画像」「スペイン風邪の後の自画像」「自画像」「窓辺の自画像」「柱時計とベッドの間の自画像」「パステルを持った自画像」「骸骨の腕のある自画像」のいずれも、端整な顔立ちで、意志の強さが伝わってくる。

「病と狂気と死が、私の揺りかごを見守る暗黒の天使だった」と、ムンク自身が後年に語っているが、彼は生涯、母からの結核という病と父からの狂気の遺伝を強く意識していたのである。そして、この暗黒の天使は、ムンク芸術に「生涯にわたってつきまとう」のである。

「ムンク作品の魅力の一つは、病や狂気や死を主題とし、(母や恋人たちとの不幸な関係という)きわめて個人的なモティーフを何度も変奏することで、普遍的な象徴性へと高めていった点にある。それは、繰り返される内なる叫びの昇華とも言えるだろう」。

この書によって、ムンクの多くの作品に出会えたのみならず、生身のムンクを親しい存在のように感じることができた。