『風と共に去りぬ』の誕生秘話・・・【山椒読書論(299)】
『風と共に去りぬ』の本と映画のファンにとって、『世紀の名作はこうしてつくられた――「風と共に去りぬ」の原稿発掘から空前の大ベストセラーへ、著者による著作権保護のための孤軍奮闘』(エレン・F・ブラウン、ジョン・ワイリー二世著、近江美佐訳、一灯舎)は滅法面白い。3.7cmの厚さも気にならず、一気に読み通すことができた。
この本の半分を占める「著者による著作権保護のための孤軍奮闘」を描いた部分も面白いが、何と言っても、この本が誕生するまでの秘話、映画が製作されるまでの秘話は、涎が垂れるほど美味だ。
これは、マーガレット・ミッチェルの伝記ではなく、そのたった一人の子供ともいうべき『風と共に去りぬ』の誕生・成長を、数々の文書や証言に基づいて綴った本の伝記なのである。だからと言って、決して堅苦しい研究書ではなく、『風と共に去りぬ』を巡る生々しい人間ドラマに仕上がっている。
ミッチェルだけでなく、夫のマーシュ、兄のスティーヴンズ、親友であり、編集者として『風と共に去りぬ』を発掘したコール、発行元のマクミラン社の副社長・レイサムと社長・ブレット、外国著作権代理人のソーンダーズ、映画化したセルズニック等々、いずれも際立った性格の持ち主ばかりなので、彼らが織りなす悲喜劇は『風と共に去りぬ』に劣らぬ魅力を備えている。40ページに亘り収録されている写真で、彼らの顔を拝めるのも楽しい。
「こうしてまず筋を組み立てると、ミッチェルは最終章から先に書きはじめた。それは記者として記事を書くときの手法だった。終末から書くほうが、ストーリーの行き着く先がわかっているので、筆を進めやすいと思ったのだ。また、登場人物をそれぞれの性格に即して動かしていけると思った」。
ミッチェルがマクミラン社に最初に原稿を送った時は、「章の順番はばらばらだし、代案をいくつも書いてある章もあったが、なんとかまとまりのあるストーリーになるよう、必死で順番をそろえた。第一章は納得のいくものが書けていないので、心に浮かんだストーリーを急いで要約し、封筒に入れた」という有様だったのである。
「一つの章を書き上げて、何年も経ってからその前後の章を書き上げるということが多かったために、章と章とがうまくつながっていなかった」。
ヒロインの名前について――「ミッチェルがパンジーという名前をスカーレットに変更したいと(コールに)提案してきたのだ」。
本のタイトルに関するミッチェルからコールへの手紙――「マクミラン社は『Tomorrow Is Another Day(明日は明日の風が吹く)』が気に入っているようですが、・・・やはり『Gone With the Wind(風と共に去りぬ)』が良いと思います。言葉の意味を離れ、響きから考えてもリズムがあります。意味の面から考えても、去年の雪のように消え去った時代、戦争という風に吹かれて滅び去ったもの、風に立ち向かうのではなく、風と共に去った人々を象徴できると思うのです。そちらのご意見をお聞かせください」。
「(マクミラン社の外交販売員たちは)南部の女性新聞記者が結婚して家庭に入り、誰にも知られずこつこつと書きため、十年もの年月をかけて完成させた壮大な小説が、いかにして大都会の編集者に見出されたのかを熱っぽく語ったのだ。この劇的なエピソードは野火のように急速に広まっていった」。
「ミッチェルにはスター性があると、レイサムはかねてより感じていた。魅力的でユーモアがあり、機知に富んでいる」。
「(マーシュとミッチェルの)夫妻は私生活が公になるのを嫌い、世間とは距離を置いて二人きりの生活を大切にする夫婦だった」。
映画化について――「一貫して(映画化に)興味を示していたのは、(34歳の映画プロデューサーの)セルズニックだった。・・・(セルズニック社の)脚本編集者のケイ・ブラウンという女性がミッチェルの小説に惚れ込み、無名作家の小説だが賭けてみる価値は充分あるとセルズニックに進言していた」。
出版されるや否や、『風と共に去りぬ』がフィーヴァーを巻き起こしたため、ストレスが溜まりに溜まったミッチェルからコールへの手紙――「きのう、何もかもが耐えられなくなり、ついに感情が爆発してしまいました。大声でわめき、疲れ果て、ベッドに倒れ込んでしまいました。今朝は精神的な疲労のせいか、震えが止まらず、タイプライターのキーを打つこともままなりません」。
「1939年は『風と共に去りぬ』にとって大きな節目の年となった。1月13日、ヒロイン役をさがして2年半、ついにデイヴィッド・O・セルズニックは、ヴィヴィアン・リーというほとんど無名のイギリス人女優をスカーレット・オハラ役に抜擢したと発表した」。
「ストーリーが短縮されても、映画は原作の語り口や全編に流れる雰囲気を見事に再現していた。だが、原作とは違った描き方をしている点もいくつかあった。その最も顕著な例が、スカーレットの描き方だろう。原作のスカーレットは美人というより個性がクロースアップされており、読み手がスカーレットという人物を受け入れるかどうかで作品を理解できるかどうかが決まるといえるほど、強烈なキャラクターに描かれている。映画のスカーレットももちろん個性的だが、リーの演じるスカーレットは、ハリウッド史上最も美しいヒロインの一人に数えられるほど美しい。また原作は、スカーレット、アトランタ、ジョージア州民の視点から見た南北戦争(南北戦争が終わったのは、ミッチェルが生まれる35年前だった)の3つが重要なテーマとしてほぼ均等に描かれているが、映画ではテーマがしぼられている。そして、人種問題も特筆しておくべきだろう。原作を読まずに映画だけを見た者には、ミッチェルが奴隷制度をどう感じているかは理解できないだろう」。
「このように原作との違いは多々あったが、ミッチェルは映画の仕上がりに非常に満足していた・・・セルズニックも製作スタッフもみな素晴らしい仕事をし、原作に生命を吹き込んで見事な映画に作り上げていると心から感じていた」。
ここまで書いてきて、早速、『風と共に去りぬ』の本を再読し、映画(DVD)をまたまた見たくなってしまった、何とも影響され易い私。