アンリ四世の王妃、ルイ十三世の母、マリ・ド・メディシスの波瀾に満ちた生涯・・・【山椒読書論(561)】
厚さが5.6cmある『マリ・ド・メディシス――母と息子の骨肉の争い』(ミシェル・カルモナ著、辻谷泰志訳、国書刊行会)では、トスカナ大公の娘として生まれ、フランス王アンリ四世と結婚し、夫の暗殺後、長男ルイ十三世の摂政となるも、息子と衝突を繰り返し、異国で最期を迎えたマリ・ド・メディシスの生涯が丹念に描かれている。
1600年10月5日、27歳のマリはフランス王妃となる。「(マリより20歳年上の)アンリ四世は教養ある人間だ。彼は『歴史』に造詣が深く、スペイン語とイタリア語を話し、読書好きである。・・・善き父であり、親愛感があり、気儘に生きることができるアンリ四世は、思いやりに満ち、やさしい感情をもち、彼の考えでは誰もが払われることを期待する権利がある敬意に、配慮する男なのである。彼は果敢に危険と隣り合って存分に生きたが、それには、そのことがもたらす疲弊だけではなく、多くのことを見聞した者の寛大さが伴っていた。彼は人生を、女たちを、庶民を愛した。彼にとってもマリ・ド・メディシスにとっても不幸なことに、彼の性格はトスカナ公女の性格とは、考えられるかぎりかけ離れていた。27歳の公女は、ピッティ宮殿の小世界でお付きの者や仲間に囲まれて、読書や日々の生活経験によって精神を豊かにするよりは、おしゃべりやおしゃれ談義や宝石選びに関心をもって、狭く限られた生活しか送ってこなかった。アンリ四世はたしかに有徳の鑑ではない。あまりにも女に振り回され、往々にして熱情に翻弄される。だが彼が他の誰にでも施す寛容を、どうして彼自身に施してはいけないだろうか?」。
マリとルイ十三世の不仲は二度の「母子戦争」を引き起こす。「彼(ルイ)はアンリ四世には甘やかされた。その父は、当時としては例外的に自分の子供たちを、ことに幼い王太子を愛した。だがその父は、王太子がわずか8歳の半ばで亡くなり、ルイは母親に厳格に監視された。母は彼に対して冷淡で思いやりに欠けた態度を見せた。アンリ四世は、母と息子の将来の不和の兆校に気づいていたが、息子が成人に達する前に自分が暗殺されるとは思ってもみなかったので、それに不安を覚えるよりは、むしろそれを面白がっていた。それでも彼は(重臣の)シュルリに王妃の息子への無関心を『不可思議だ』と思っていると打ち明けていたし、『子供たちに対する情愛が薄いと彼女を責めていた』のである」。
国王夫妻の最後の4、5年について、後世の史家は、こう記している。「夫をまったく愛していず、また夫からもいっそう愛されていない、傲岸で激しやすい最低の妻・・・家庭に不幸をもたらし、夫を打ちのめした。・・・夫は妻といっしょでは、自分が主人であることを示す力もなく、きわめて危険で不愉快な手のやける女を追い出す力もなかったので、結局はその女に押しつぶされてしまったのだ」。マリに辛辣であるが、このような状況の背景には、アンリ四世にアンリエット・ダントラーグという愛妾がいたことを考慮に入れる必要があるだろう。
1610年にアンリ四世が暗殺された時、マリは37歳だった。その後、7年近くに亘り、幼いルイ十三世の摂政として、フランスを思いのままに統治した。しかし、1617年4月24日の、15歳に達したルイ十三世の政変によって、それは終わりを告げる。「税の圧力は絶えず増大し、国民は不当な税の重圧で押しつぶされるように感じた。束の間の平和を買うために、大貴族に支払われる贈与金、評定官、医師、小間使、あらゆる類の友人になされる贈与、真珠、ダイヤモンド、その他の宝石の購入、いつの日かイタリアかその他の外国に向かうことになる母后の個人的な蓄えが、絶え間なく赤字をふくらませた。窮乏が増大すると、それとともに母后の財務管理の要求も増大する。ルイ十三世の政変が母親を権力の座から追放したとき、フランス王国では大きな安堵のため息がもれた。王国は文字通り喰いものにされてきたのだ。実は、そこにこそマリ・ド・メディシスの摂政政治の破綻があったのである」。
「若い国王は、アンリ四世と同時にマリ・ド・メディシスから受け継いだ、強情な気質の持ち主だった」。政変によって、ルイ十三世は母への復讐を果たしたのである。
紆余曲折を経て、1625年には、25歳のルイ十三世、52歳のマリ、39歳の枢機卿リシュリューの協調関係が築かれる。「それぞれの役割が決められる。国王は統治する。母のそばで彼は助言と思いやりを見出す。母后の『家来』である枢機卿は、忠実に国王の利益に資する」。
しかし、ルイ十三世は幸福ではない。夫婦生活は悪化する一方であり、後継者が生まれないことは国家の政治生命に強い影響力を及ぼし、王国内に永続的な不安定の火種をかかえることになる。国王は狩猟に熱中し、肉体を疲れさせることで、個人的な憂さを紛らせようとする。1625年には、王妃アンヌ・ドートリッシュと英国のバッキンガム公爵との恋愛事件が発生する。
やがて、完全に女性君主になりたいと考えるマリと、その障害となるリシュリューは反目することになる。リシュリューを重用するルイ十三世に代わり、自分が可愛がっている末息子ガストン・ドルレアンを王位に就けようという陰謀が露見し、亡命に追い込まれる。「哀れな母后! 1633年は悲しみのうちに幕を閉じた。ガストン・ドルレアンへの愛情は裏切られ、あまりにも軽薄な息子のおかしな考えに全財産をつぎ込んだ挙句に、ほぼ万策尽きた彼女には、政策が勝利をおさめたリシュリューという男から期待できるものは何もないのだ。すべてに通じ、何ごとにも目を光らせるその恐るべき男は、亡命した一味の策動の裏をかくことができた。さらにその策動を逆手にとって、ロレーヌに手をかけ、見事な外交上、軍事上の成功をおさめることができた。・・・マリ・ド・メディシスは、リシュリューが推し進めた政策が成功に次ぐ成功をおさめたことを、はっきりと理解した」。
1638年9月5日、冷え切ったルイ十三世とアンヌ・ドートリッシュの間に長男ルイ・デュードネ、後のルイ十四世が生まれた。この意外な出生が、後の鉄仮面の謎を生むことになるのだ。
1642年7月3日、ドイツのケルンにてマリ死去、享年69。1642年12月4日、リシュリュー死去。1643年5月14日、ルイ十三世死去。