魏に大勝し盛名を天下に轟かせた関羽だが、呉の呂蒙の策略に乗せられ、荊州を奪われてしまう・・・【山椒読書論(590)】
横山光輝のコミックス『三国志』(横山光輝著、潮出版社、希望コミックス・カジュアルワイド、全25巻)は、羅貫中の小説『三国志演義』→吉川英治の小説『三国志』の流れを汲んでいる。
「第17巻 関羽の不覚」――。「(蜀との戦いで傷を負った曹操は)命からがら、京兆府に逃げ込んだのである」。「魏軍が全面撤退したあと、当然、(劉備)玄徳がこの地に乗り込んだ。・・・これで、玄徳の領有は四川、漢川の広大な地域をみるにいたり、蜀は一大強国にのし上がったのである」。「建安24年7月、玄徳は漢中王を名乗った」。
「おう、司馬仲達、我が軍が(蜀と)雌雄を決しようというのが犬死にだと申すか」。「(蜀を)弱らせる方法はございまする。呉と戦わせるのです」。
「呉の孫権も日々ぼんやりと暮らしていたわけではない。曹操や玄徳が次々と領土を拡大し、その勢力を強めているいま、呉の今日の安泰は明日も続くとは考えていなかった」。
「(魏の)于禁を生け捕り、龐徳を討ち、七軍を濁流にのませた関羽の戦いぶりに世間は『あっ』と言った。そして関羽の威名は天下に鳴り響いた」。
「(呉の)呂蒙は直ちに3万の精兵を引き連れ、80余艘の軍船に乗り、荊州に向かった。矢は弓を離れた」。「関羽も予期できぬ、あっけない荊州本城の落城であった。呉はここに大きな望みの一つを遂げた。荊州を自国の地図に加えることは、劉表が滅んで以来、孫権の長年の望みだった」。
「(関羽を討つべく)曹操みずから大軍を率いて、再び出陣した」。「今や山野を埋めつくさんばかりの大軍となって、関羽の陣に迫ってきた」。「関羽軍はずたずたに分断され、多くの兵士が地上にその骸をさらした。関羽はかろうじて襄陽に入った。だが、その勢力は半減していた」。「なんと、荊州城は孫権の手に落ちたと!」。「(関羽)将軍、これからどうなされまする。前には呉軍、後には魏の大軍、これでは身動きできませぬ」。
「これもすべて呂蒙の遠謀・・・病気と偽り、陸口を若い陸遜に譲って、わしを油断させ・・・今や荊州の民をそこまで帰服させた。そこまでこの関羽は読み切れなんだ。恐るべき人物じゃ。だが、このままではすまされぬ。呂蒙が君命ならば、わしとて君命で荊州をあすかっているのじゃ。呂蒙と決戦あるのみ」。
「こうして、関羽は荊州に向かって進撃を開始した。だが、呉随一の将といわれる呂蒙は関羽の行動を読みとり、蒋欽、周泰、韓当の三将に三方から出陣を命じていたのである。関羽は玄徳の信頼を裏切る結果となったことにあせりを感じ、ただひたすら荊州へ進んだ。だが、自分の家族の住む荊州への進撃に兵士達は戦意を失っていた」。
部下500と小さな麦城に立て籠もり、援軍を待つ関羽の運命やいかに。