榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

おどろおどろしい狂歌と絵が満載の本・・・【情熱的読書人間のないしょ話(71)】

【amazon 『化物で楽しむ江戸狂歌』 カスタマーレビュー 2015年5月13日】 情熱的読書人間のないしょ話(71)

A社の「ロジカル・シンキング術、SNS活用術」、B社の「イキイキ・ワクワク仕事術、逆境脱出術」研修の予行演習を女房相手に済ませてから、散策に出かけました。爽やかな風が心地よい季節になりました。あちこちでツバメを見かけます。池のほとりでは、オオモミジの赤い葉が初夏の陽光に煌めいています。因みに、本日の歩数は13,708でした。

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閑話休題、『化物(ばけもの)で楽しむ江戸狂歌――「狂歌百鬼夜狂(ひゃっきやきょう)」をよむ』(江戸狂歌研究会編、笠間書院)という面白い本を見つけました。

「恐ろしいことがいかにも起こりそうなシチュエーションで、仲間たちと集まり、どきどきわくわくしながら夜明かしすること、その催し自体を楽しんでいるとしか、思えません。・・・そんな狂歌なかまの盛りあがりと狂歌のおかしみの点で、まさに江戸狂歌が最高潮を迎えた、天明盛時の雰囲気を色濃く映し出したのが、この『狂歌百鬼夜狂』です。彼ら狂歌師仲間は、江戸の暮らしを言葉で祝福し、明るく楽しく謳いあげました」。この『狂歌百鬼夜狂』を刊行したのは、東洲斎写楽を売り出したことで知られる蔦屋重三郎(狂名は蔦唐丸<つたのからまる>)です。

収められている狂歌を見てみましょう。「古寺 大屋裏住(おおやのうらずみ)――燈明(とうみょう)のきへかかる夜(よ)は玉の緒のたゆる間もなく雨のふるでら」は、「仏前の燈明が消えかかっているこんな夜こそ、人魂(ひとだま)はいつまでもその尾を引き続けていそうで、絶え間なく降る雨に濡れている不気味な古寺だ」と説明されています。妖怪変化が住み着いていそうな古寺の荒廃ぶりそのものを化け物と見做しているのです。消え「かかる」と「かかる(こうした)」夜は掛詞(かけことば)です。「玉の緒」と「(人)魂の尾」も、「降る」と「古寺」も掛詞です。

「死ね死ね榎 唐来参和(とうらいさんな)――行人(ゆくひと)をしねとすすむる古榎(ふるえのき)これやめいどの一里塚かも」は、「通行人に『死ね』と勧める古い榎、これがまさに冥途への一里塚ではないかなあ」と現代語訳されています。

「轆轤(ろくろ)首 鹿都部真顔(しかつべのまがお)――窓の戸のすきと信ぜぬろくろ首ぬけでるうそをたがつたへけん」は、「ぴったりと閉まっていない窓の隙間からろくろ首が抜け出していったなどという、まったく信じがたいホラ話を、いったい誰が伝えたのであろうか」と解説されています。轆轤首は、首が長く伸びる化け物です。「すきと」と「隙」は掛詞です。「首ぬけ」と「ぬけでる」も掛詞です。

「のつぺらぼう 宿屋飯盛(やどやのめしもり)――むさしのののつぺらぼうはとらまへてはなしにさへもならぬにげ水」は。「広大な武蔵野に現れるのっぺら坊は、口もなければ歯もないので捕まえても話ができない。武蔵野の名物とされる逃げ水のようなもので、捕まえることもまた放すこともできず、話の種にもできないのだ」と訳されています。のっぺらぼうは、目、鼻、口のない化け物です。「はなし」は、「話」「放し」「歯なし」の掛詞となっています。

「青(あお)女房 土師掻安(はじのかきやす)――物すごき風ふく原の古御所に生(おい)たつ草の青女房かな」は、「化け物の出現を予感させる不気味な風の吹いている、荒廃して青草が茂る福原の御所の跡に、顔色の悪い青ざめた年若い女官が佇んでいる」と解釈されています。「風吹く」と「福原」は掛詞です。

それぞれの狂歌に添えられている化け物の絵が、おどろおどろしく描かれていて迫力満点です。