榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

戦国武将たちの死因を現代医学の立場から見てみると・・・【情熱的読書人間のないしょ話(132)】

【amazon 『戦国武将の死生観』 カスタマーレビュー 2015年8月1日】 情熱的読書人間のないしょ話(132)

1984年に東京の日本橋髙島屋で「ミレー展――ボストン美術館蔵」を見た時に、農民夫婦が馬鈴薯を植える光景が描かれた「馬鈴薯植え」の大型の絵を手に入れました。実物から漂ってくる、農作業に勤しむ二人の信頼感に満ちた雰囲気が好ましく感じられたからです。その後、パリに行った際、オルセー美術館でジャン・フランソワ・ミレーの「落ち穂拾い」と「晩鐘」の実物にも対面しましたが、これだけでは満足できず、その舞台となったパリの南60kmのバルビソン村の畑まで出かけていってしまいました。

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閑話休題、『戦国武将の死生観』(篠田達明著、新潮選書。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を興味深く読みました。

「本書では、おのれの武勇に自信のある武将たちが新天地を求めて闊歩した戦国動乱期に焦点を当てて、当時の武将とその妻たちが死に臨んだときの覚悟と死生観を浮き彫りにしてみようと思う」とあるとおり、彼らそれぞれの死生観が手際よく紹介されています。

私にとっての掘り出し物は、死生観とともに彼らの死因が考察されていることでした。その見解は、著者が医師だけに実証的で説得力があるのです。

「たとえ(明智)光秀が本能寺で謀反をおこさなくとも、遠からず(織田)信長は高血圧性脳出血を発症する可能性は十分にあったとわたしは考える。・・・日々激務をこなして循環器系への負担が大きく、高血圧が高じた信長が、ある日、激昂して脳血管が破れ、重篤な脳出血をおこして半身不随になる可能性は大きかった。光秀は南蛮医などの情報をもとに信長の健康状態を十分聴取してから謀反をおこすか否かの判断を下すべきだった」。

「(豊臣)秀吉が病臥中、認知症におちいって寝小便を垂れ、幼子の行く末のみを案じて終末期がぶざまだったのも、がん悪液質症候群によるものではないかとわたしは考究する」。著者は、その臨床経過から秀吉は末期の胃がん、あるいは大腸がんだったと推測しているのです。

「従来より(徳川)家康は鯛のテンプラによる食中毒で亡くなったという説が流布している。しかし現代医学の目でみると、中毒説には否定的であり、家康の癪とは消化器がんだった疑いが濃厚である」。胃がんと推測しているのです。

「大酒飲みが高じて再発性脳出血に斃れた上杉謙信」。「(武田)信玄のわずらった病気はその臨床経過から消化器がんが疑われる。がんの中でも横隔膜付近に発症するものといえば食道がんや胃の噴門がんがあげられる。・・・信玄も酒には目がなく、ことあるごとに痛飲して食道がんにおかされた疑いが濃厚である」。「(毛利元就の)回虫によるイレウス説は支持しがたい。現在では病状が慢性に経過して徐々に衰弱したことや、発病して1年4カ月あまり経って亡くなったこと、そして最期まで意識があったことなどから、消化器がんなどの悪性腫瘍説が唱えられている。わたしも元就は大腸がんなどの消化器がんをわずらったのではと考える」。「腹部の膨満や黄疸などの症状と慢性の経過から、(蒲生)氏郷は肝臓病をわずらっていたのではないかと考えられる。肝障害はウイルス性、自己免疫性、アルコール性に大別されるが、氏郷は大酒飲みだったからアルコール性肝炎をわずらい、ついで吐血、腹水の貯留、重度の黄疸といった肝硬変の症状が出現、さらに肝硬変から肝臓がんを発症して死にいたった可能性が高いと思われる」。「(伊達)政宗の死因は食道・胃噴門がんだったと推定される」。こういう観点から戦国武将たちを見直してみると、なぜか親近感が湧いてくるから不思議です。