源頼政と木曽義仲に関する歴史の真実が明らかに・・・【情熱的読書人間のないしょ話(208)】
秋が深まり、落葉が敷き詰められたようになっています。すっかり葉を落としたサクラ並木です。池の杭のそれぞれにカモが止まって休んでいました。美しく紫色に熟したムベの実を眺めていたら、その家の女性から、よろしかったらどうぞもぎってお持ちくださいと声をかけられました。ムベは、女性の好意と甘さが混じった味わいでした。因みに、本日の歩数は11,057でした。
閑話休題、『源頼政と木曽義仲――勝者になれなかった源氏』(永井晉著、中公新書)は、私にとって新たな発見がありました。
その第1は、当時全盛の平氏に対し、以仁王とともに挙兵した源頼政は、成り行きから巻き込まれただけだという見解です。「平氏との良好な関係によって社会的地位を上昇させていった頼政に、反平氏の挙兵をしなければならない理由は見いだせない。・・・源頼政は、以仁王、平氏政権、延暦寺、園城寺などによる駆け引きの中で、以仁王逃亡に対して責任を負う立場から、彼を助けるべく合流を決意した。この決定が、頼政に意図せぬ内乱の幕開きを担わせたのである。源頼政は成り行きから巻き込まれただけであり、彼の側から積極的に関与した形跡は見いだしえない。頼政は、以仁王のもとに集まった人々を指揮して奮戦したが、全国的な内乱を意図したものではなかった」。
第2は、木曽(源)義仲が、自分を頼ってきた以仁王の遺児・北陸宮を次の天皇に据えようとしたため、後鳥羽天皇を実現させたい後白河院と、そして安徳天皇を擁する平氏と闘わざるを得なくなったという指摘です。「寿永元年(1182)、以仁王の遺児北陸宮が木曽義仲を頼って南都を出奔したことで、義仲は以仁王の遺志を継いだ皇位継承戦争に関わった。北陸宮を受け入れたことは、義仲が以仁王・源頼政の遺志を継承する者となったことを意味する。その結果、義仲は安徳天皇を擁する平氏政権から見たもっとも危険な敵となった。宿敵の平氏政権を西海に攻め落とした後、義仲は京都で後鳥羽天皇を即位させたい後白河院との政治的対立を繰り広げる。後白河院は、皇位継承問題に対して特別な立場を持たない源頼朝を新たな提携の相手に選び、木曽義仲には平氏追討を命じて西国の戦いで消耗させようとした。後白河院との権力抗争に翻弄された義仲は孤立し、源頼朝が派遣した上洛軍に滅ぼされることになった」。
第3は、『平家物語』における義仲の最期の描き方が、詠み本系と語り物系とでは異なっているという分析です。「興味深いのは、読み本系の『平家物語』は松殿姫君との別れに逡巡する場面が詳しく、語り物系の『平家物語』は巴との別れが詳しいことである。愛する女性から離れることのできない生身の義仲と、最期の場面で妻を落とした(戦場から去らせた)義仲の人物造型の違いがある。文字で読む読書と耳で聞く聴衆の違いが、義仲と生死を共にした人々のことを語り継ごうとする読み本系と、義仲の滅びの美学を貫こうとする語り物系の発展の方向の違いとなって表れている」。
「源頼政も木曽義仲も、院政政権から平氏政権へとつながるそれまでの政治体制を崩す役割を結果的に果たした。成り行きから以仁王挙兵の主力となった頼政は、旧体制を破壊する終わりの始まりの役割を背負った。木曽義仲は、平氏政権との戦いに勝ち続け、もはや逆戻りできないところまで旧体制を壊した。彼らは内乱前半の主役として、既存の政治体制を壊す役割を担ったのである」。頼政と義仲は、期せずして、内乱の後半の主役を務めた源頼朝による鎌倉幕府という新政治体制への移行に貢献したのです。
源平時代にはそれなりに詳しいつもりでしたが、本書によって何度も目から鱗が落ちました。