榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

中国では下級品とされた茶碗が日本で珍重されたのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(349)】

【amazon 『唐物と日本のわび』 カスタマーレビュー 2016年4月10日】 情熱的読書人間のないしょ話(349)

我が家のモクレンは、咲くのは遅いけど、花の色の美しさでは決して引けを取らないというのが、庭仕事担当の女房の言い分です。庭の片隅で、クルメツツジも桃色の花を咲かせ始めました。散策中に、ツクシの群落を見つけました。薄紫色の小さな花をたくさん付けているローズマリーも見つかりました。スノウフレイク(スズランズイセン)は小さな白い花を俯き加減に咲かせています。因みに、本日の歩数は10,828でした。

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閑話休題、『唐物(からもの)と日本のわび』(彭丹著、淡交新書)は、日本での生活が長い中国人研究者の手になる日中文化比較論の本です。と言っても、堅苦しいものではなく、唐物の茶碗等を通じて日本のわびを考えるという親しさを感じさせる方法論を採用しています。

「ある日の茶室。『珠光青磁の写しです』と言いながら、師匠が茶碗をひとつ差し出した。濁った灰黄色の茶碗である。青磁という名前から連想する潤沢な色合いを帯びた青磁とは似ても似つかない。ひと昔まえの中国の田舎の食卓に載るような飯碗に見えた。いまの中国では光沢のある磁器が高級とされ、こんな粗笨な器は誰も見向きもしない。だが、日本の茶室では、わび茶の開祖である珠光の好みとして、珠光青磁と名づけて珍重される。・・・地方民窯が近隣の庶人のために量産した生活雑器の類ではなかったか。磁器としては上手物ではない。・・・珠光は、東山流の貴族茶を否定して新たな茶を創り出すために、灰黄色の下手物の茶碗をとりあげた。灰黄色の唐物茶碗は珠光の目指した新しい茶の道を象徴した。新しい茶の道とは、わび茶のことである。珠光から始まった茶の湯はわびであり、そのわびは日本的な美であるとよく聞かされる。だが、そもそも『わび』とは何か」。こうして、著者の答え探しが始まったのです。

「(満月よりも)雲のかかる月を愛した珠光の美的感覚は『わび』と名づけられ、茶の湯の美として受け継がれていく。・・・中国では、青色の青磁茶碗には美を見たが、灰黄色の下手物茶碗には粗相しか見ない。だが、灰黄色の下手物茶碗が唐船に揺られて海を渡り、日本の茶人にめぐり逢ったとき、珠光青磁として生まれ変わり、美が誕生した」。このように、日本と中国の文化の分岐点が明らかにされていきます。

中国の文化と日本の文化のいずれにも深く通じている著者でなくては、このような書を著すことはできなかったでしょう。