辺境探検家と日本中世史研究者との型破りで刺激的な対談集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(350)】
新入社員研修の講師を務めました。小石川後楽園は緑滴る若葉の季節を迎えています。カルガモ親子が元気に泳ぎ回っていました。水戸黄門として有名な徳川光圀はこういう顔をしていたそうです(狩野常信筆)。打ち合わせを行った出版社近くの東京タワーは青空を背景にすっくと立っています。私は天の邪鬼なので、世間でちやほやされているスカイツリーより東京タワーのほうが好きです。因みに、本日の歩数は18,311でした。
閑話休題、『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(高野秀行・清水克行著、集英社インターナショナル)は、辺境探検家と日本中世史研究者との型破りな対談集です。
世界の辺境と中世の日本はなぜ似ているのかといったさまざまなテーマを巡る自由奔放な対談の中から、何ともユニークな超時空比較文明論が浮かび上がってきます。そして、それは想定を超える説得力を持って迫ってくるのです。
「室町時代の応仁の乱がめちゃくちゃな戦争になったのも、足軽が戦闘に加わるようになったからだと言われていますよね」、「そうですね」、「寺社に火を放つような、それまでは誰もやらなかったことを足軽が平気でやりだして、都が荒れ果てた。そこに(内戦が続いている東アフリカの)ソマリアで虐殺が起きた理由を考える際のヒントがあるんじゃないかと」、「僕の大学時代の指導教授だった藤木久志さんが『雑兵たちの戦場』(朝日選書)という本で、足軽は略奪集団だったという説を唱えています。僕もこの説に賛成で、室町時代には、民衆が、京都の富裕層である土倉や酒屋を襲撃して債務破棄を求める徳政一揆が頻発するんですが、これは自分たちの借金を清算するためだけの動きかというと、そうじゃなくて、明らかに略奪行為なんですよ。飢饉とリンクして起きて、農村で食えない人たちが首都の富を奪いに襲ってくるんです。ところが、その徳政一揆は、応仁の乱の間にはまったく起きていないんです。それは、応仁の乱が続いている間は、略奪集団が足軽に姿を変えて京都を襲っていたからで、平時の徳政一揆と戦時の足軽は表裏一体、どちらも村からあぶれて食い詰めた人間のサバイバルだったんです。ただ、藤木さんがこの説を唱えるのには勇気がいったみたいです」。
「応仁の乱もソマリアの内戦も、同じように訳がわかんないですけど、共通しているのは戦争の中心が都だったことでしょう。ふつうはある場所が戦場になっても、そこが戦いによって荒廃すれば、他の場所に戦場が移るけど、都が戦場になると、いくらそこが荒廃しても、誰かが完全制圧するまで戦いの舞台が移らないんですよね。しかも、戦争が長引くと、だんだん対立軸がねじれてくるし、外部勢力も介入してくる。中央が乱れれば地方も乱れてきて、戦争の構図がさらに複雑になっていく」、「そうなんですよ。応仁の乱はまさにその通りですよ(笑)」。
一見、突飛な見解に見えながら、いろいろな気づきと刺激を与えてくれる一冊です。