戦争に向き合った俳人たち・・・【情熱的読書人間のないしょ話(543)】
散策中に、ツマグロヒョウモンの雄を見つけました。ホタルガの翅は黒地に白い帯模様があります。因みに、本日の本数は10,924でした。
閑話休題、『転換の時代の俳句力――金子兜太の存在』(岡崎万寿著、文學の森)は、時代と向き合う俳句と俳人をテーマとした著作です。「時代の困難に揺らぐ心を、俳句をもって乗り越えてきた俳人たちの真摯な努力がある。併せて、この五・七・五という最短定型詩形のもつ不思議な魅力がある。転換期には、それが俳人たちの生き抜く力ともなった。まさに『俳句力』である」。
著者は、福島の被災地・浪江町の馬場有町長の、「原発は、すべてを破壊する魔物です。事故が起これば憲法十三条の幸福追求権、二十五条の生存権、二十九条の財産権など、すべての権利を奪ってしまう」という言葉に深い共感を寄せています。
金子兜太が昭和30年に発表した俳句、「原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ」。「時代のかかえる問題に真正面から切り込んだ、いわば傾向性を持つ社会性俳句である。小動物の鮮やかな映像は、非核へのイメージ力十分で、『原爆許すまじ』という被爆国民の祈りにも似た言葉と呼応して、いまでもその時代の息吹きを感じさせてくれる」。
渡辺白泉が昭和14年に作った俳句、「戦争が廊下の奥に立つてゐた」。「『戦争』を、ありふれた庶民の家の薄暗い『廊下の奥』に、物の怪のように佇たせたところに、この句の凄味がある。『戦争』そのものを、現にそうであるように、庶民の生活の場へずかずかと侵入させた戦慄の実在感が、卓越している。現在にも通用する、『戦争』を詠んだ不気味な生活感の普遍性がある」。
白泉には、「まんじゆしやげ昔おいらん泣きました」という句もあります。
鈴木六林男が昭和17年に発表した俳句、「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」。「今日なお六林男の代表作、戦場を詠んだ名句とされている。間違いなく死臭の漂う戦場での作品である。死線にあって戦死した戦友の雑嚢から、一冊の岩波文庫が出てきた。大事に持っていた『遺品』である。ところがその文庫本は、森鴎外が殉死をテーマに書いた歴史小説『阿部一族』であった。作品はシンプルに、その事実だけで構成されるが、殉死をめぐる阿部一族の悲劇が、戦場で『悠久の大義』(戦陣訓)と称して、意味の無い死を選ばざるを得なかった兵士の心情と二重写しに重なって、切ない」。
六林男には、「月の出や死んだ者らと汽車を待つ」、「溶けながら考えている雪達磨」という句もあります。
西東三鬼が昭和13年に作った俳句、「兵隊がゆくまつ黒い汽車に乗り」。「日中戦争を背景に銃後の内地で、『まつ(真っ)黒い』列車に乗せられ戦場へ運ばれる兵隊たちを詠んでいる。『黒』は死の色でもある。一句に静かな戦争への批評が見える」。
本書を読んで、戦争について改めて考えさせられました。