戦争映像ジャーナリスト・後藤健二が紛争地帯に出かけていった真の理由・・・【情熱的読書人間のないしょ話(670)】
散策中、こちらに近づいてきたハクセキレイとばったり目が合ってしまいました。あちこちでツグミを見かけます。額が出っ張っていて、嘴が太いというハシブトガラスの特徴がよく分かります。因みに、本日の歩数は10,152でした。
閑話休題、2015年1月、イスラーム国(IS)に拘束され、無惨に殺害された戦争映像ジャーナリスト・後藤健二が、命の危険を冒してまで紛争地帯に出かけていったのはなぜかを知りたいと思い続けてきました。
『ジャーナリスト 後藤健二――命のメッセージ』(栗本一紀著、法政大学出版局)によって、漸く、その答えを得ることができました。後藤の親しい友人にして、同じ戦争映像ジャーナリストの著者だからこそ、後藤の思いに迫ることができたのです。
「イラクのひとびとの現実を間近で見て、後藤さんの心は痛みました。イラク国民のほんとうの意味での平和と復興を期待するには、あまりにも悲観的な状況が続いていました。戦後のイラクには人道支援の国際機関もまだない状態でした。無念、憤り、失望――それらすべてが入り混じって胸につかえていました。その後、後藤さんを執拗なまで、くり返し、くり返しこの土地に向かわせた理由こそ、この『胸のつかえ』でした。この土地の人たちが真の希望を取り戻し、子どもたちが安全に学校に通い、家族と安心して暮らせるようになるその将来、つまり心のなかのその『つかえ』が完全に消えるとき、後藤さんの渇いた魂は癒されるはずでした。その日まで、彼に唯一できることは、ジャーナリストという立場からこの国の現状を世界に伝え続けることでした」。
著者の職業ジャーナリスト論は、説得力があります。「その存在意義をひとことで表すなら、それは私たちがあなたの正しい『目』となり『耳』となれる可能性です。また、遠く離れた地域で暮らしている名もなき人たちの『声』に、私たちがなれるかどうかです。・・・遠い中東で起こっていることなんて日本には関係のない話だというかもしれません。しかし、(安全性が最優先される大手メディアに所属するジャーナリストではない、フリーの)ジャーナリストがいるからこそ、その事件が日本という遠い国まで伝わり、みんなが関心を払うようになるのです。『無関心』でいることは世界の平和にとって一番危険なことです。戦争を例にとった場合、国家の『暴力行為』はかならず隠蔽されます。拷問や処刑、虐殺や弾圧――それら被害者・当事者たちの代理人としてジャーナリストは記録し、告発しなければなりません。それら戦争の犠牲者と、国際社会との中間に立つのがジャーナリストの役目です。・・・戦争報道は、『この惨状を世界に伝えなければ』というジャーナリスト魂をもったさまざまなジャンルの人たちが、次から次へと現場に出ていくことで、未来の世代にも受け継がれていくのです。仲間の死を生かし、その屍を乗り越えて、事実を記録し続けていくことこそが、志半ばにして殉職した友への最大の追悼にもなるからです」。彼らは時代のメッセンジャーたらんとしているのです。