榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

シェイクスピアと落語の親密な関係・・・【情熱的読書人間のないしょ話(681)】

【amazon 『ミルワード先生のシェイクスピア講義』 カスタマーレビュー 2017年2月24日】 情熱的読書人間のないしょ話(681)

散策中に、ハシブトガラスの水浴びを目撃しました。ハシボソガラスもいます。キジバト、ツグミ、ムクドリが熱心に餌を啄んでいます。マガモのカップルが泳いでいます。因みに、本日の歩数は10,947でした。

閑話休題、『ミルワード先生のシェイクスピア講義』(ピーター・ミルワード著、橋本修一訳、彩流社)は、ウィリアム・シェイクスピアの入門書という体裁を取っていますが、なかなか読み応えのある一冊に仕上がっています。

第一部の、ピーター・ミルワードによるシェイクスピア講義では、「ロミオのジュリエット」「ハムレットのオフィーリア」「オセロのデズデモーナ」「マクベス夫人」「リアのコーデリア」という悲劇のヒロインたち5人が取り上げられています。

「ジュリエットの強さ、オフィーリアの脆弱さ、デズデモーナはあまりに善良であり、マクベス夫人の悪女ぶりといったら! それでもまだ、それぞれが根っから女性的であり、女性の強さ、弱さ、善良さ、そして女性特有の闇の部分をさらけ出して見せているのです。・・・コーデリアについて言えば、その気立てのよさはデズデモーナとそれほど変わるところはないのです」。

「ジュリエットに関して言えば、乙女の純真さでもって、ロミオの誘いを丁寧に断っているかのように見せかけていますが、同時にロミオのキリスト教に絡めた言い方を使いながら、同時に『this』と『kiss』という韻を踏むことによって、ロミオを誘惑さえするのです。・・・このからかうような会話の結果として、もしジュリエットがロミオの欲望に身を任せて、その唇を許したとしても、それほど驚くようなことではないでしょう。・・・この計画のおかげで、恋人たちは幸せな一夜を過ごすことができました」。

「シェイクスピアがここで描いているものは、若いジュリエットに『愛』がもたらしたものは何だったのかということなのです。この物語の初めには、ジュリエットは無邪気で従順なおとなしい娘でした。しかし、物語が進んでいくにつれて、ジュリエットは、その複雑な面を見せ始め、周りの人間をうまく騙すようになっていきます。それでもなお、ロミオのためならあらゆる危険を冒し、ロミオとともに死ぬようなことにまでなっても、その目的のためには、ただ純真なままなのです」。

第二部の、橋本修一によるシェイクスピア教養講座では、シェイクスピアに関して、これだけは押さえておくべきという知識が満載されています。

この中で一番印象深いのは、「シェイクスピアは『落語』の面白さ」という指摘さです。「(シェイクスピア時代は)劇場といえば聞こえはよいのですが、いわば『芝居小屋』程度のものだったと考えられています。そのため、大掛かりな舞台装置は望むべくもなく、細かいセリフの言い回しのニュアンスを大事にする必要があり、すべてはお芝居を観る側の想像力に頼るしかない、観客に想像力を要求してはじめて成立するものでした。シェイクスピアの面白さの要素の一つは日本の話芸である『落語』の面白さだと中野好夫は指摘しています。・・・シェイクスピアのお芝居というのは、『聴く』お芝居であって、観客に想像力を要求するものだったのです。さらにシェイクスピアは(歴史に題材を取ったものを含む)すべてのお芝居を現代劇としてとらえていました。そのため、舞台装置もシェイクスピアの時代の普段のものがつかわれていました。・・・シェイクスピアのお芝居の面白さはまさにセリフの面白さなのです。・・・シェイクスピアの描いているのは他ならぬ『人間』であって、その人間とは国や時代が違っても、同じようなことで悩んだり、苦しんだり、喜んだりしていると思います。つまりは人類としての普遍的テーマを扱っているのがシェイクスピアのお芝居ということなのだと思います」。