高村薫・倉本聰にとっての原発、橋田壽賀子にとっての戦争・・・【情熱的読書人間のないしょ話(709)】
靖国神社のソメイヨシノの標本木はほんの少ししか咲いていません。新宿御苑のソメイヨシノは一分咲きぐらいです。新宿御苑のコヒガン、ヨウコウ、シダレザクラは満開です。増上寺のシダレザクラも満開です。千鳥ヶ淵では、スズメの集団が一斉に木に止まり、花が咲いたかと見紛うばかりでした。因みに、本日の歩数は21,609でした。
閑話休題、『人生の流儀』(高村薫・倉本聰・橋田壽賀子他著、新日本出版社)には14人に対するインタヴューが収録されています。
作家・高村薫は、こう語っています。「私の発想は、世の中を見たときに、『なぜ』から始まるんです。この年まで、ずっとその発想の枠組みでやってきました。人はなぜ、戦争をするのか。世の中にはなぜ、貧しい人とお金持ちがいるのか。物心ついた時に、最初に考えたのがそれです」。「子どもの時の大きな謎が、世の中にはなぜ貧しい人とお金持ちがいるのか、ということでした。新世界(大阪市浪速区)には、いまでいう路上生活者がいました。どうして道端で人が寝ているのかと、不思議でした。それが私にとっての世界の始まりだったのです」。「(政治の言葉の)短絡化の流れに抗するには、複雑な思考をまず知ることが必要です。そのためには読書しかない。とくに複雑な思考のある本を読むことです。時間を割いて、少しでも複雑な言葉の世界を知ることに振り向けてほしい」。「福島第1原発の惨状を見れば、ほんとうはみんなこの地震列島でのリスクの大きさに気づいているのではないでしょうか。わからないはずがない。日本の原発が立脚している核燃料サイクルの破綻もみんなわかっているはずです。早晩破綻するとわかっていて、突き進んでいる。原発をなくせば、エネルギー政策も産業構造も変えなければなりません。政治家にはそこまで変えるだけの意思も覚悟もないのでしょう。いま、必要なのはそういう覚悟なのですが」。高村の原発に対する考え方に全面的に賛成です。
脚本家・倉本聰は、こう憤っています。「わずか4年前の原発事故。当時、世界をあれだけ震撼させた悲劇の記憶が、当事国である日本で、こんなにも早く風化し始めていることに、僕は激しい憤りと悲しみを感じます。東京オリンピックを招致したいために、この国の宰相が、『(原発は)コントロールされている』と笑顔でぬけぬけと言い放つ。メルトダウンの始末もつかないまま、政府や財界が原発再稼働へ舵を切り、原発輸出さえしようとしています。・・・僕は前に『昨日、悲別で』というドラマで炭鉱の棄民を書きました。今度は原子力の棄民です。賠償金では償いきれない記憶や思い出、感情の集積。それが『ふるさと』です。『ふるさと再生』と口では言いながら、東北被災地の始末もつけないで原発再稼働などと言っている政界・財界のお歴々は、『ふるさと』という言葉の重みが本当にわかっているのでしょうか。それを奪い取った戦犯の罪は、それに加担した政治家、財界人、科学者たちが、個人名を明らかにして負うべきものだと思います」。「(父は)亡くなった時には借金しか残さなかったんですが、年を取れは取るほど、おやじから残してもらったものが多かったなと思います、僕らが自然の一部であること。損得を考えずにまっすぐ生きること。たたかうことを恐れないこと。自分の価値観は自分で決めること。ありとあらゆるものを生前贈与されていたなと気づきました」。後始末ができないのに原発を推進する輩に対する倉本の怒りは、まさに私の怒りそのものです。
脚本家・橋田壽賀子は、こう述べています。「私には、青春を楽しんだ経験が無いんです。終戦が20歳の時。日本女子大の学生でしたが、戦中、戦後と、全然遊べませんでした。女学校の修学旅行が皇居の清掃だったような時代でした。空襲で誰かが死んでも、焼け野原の死体を見ても、明日にでも私も同じことになるのだから、と特別悲しくはなかった。アメリカ兵が上陸してきたら死ぬのだと思っていました。戦争で、そんな気持ちになってしまうんです。怖いですね」。「私は二流、三流でたくさんです。そう思うと本当に樂ですよ。脚本も、いくらでも早く書けるし、疲れない。一流の方は、ひとつのセリフにこだわって、何時間もかけた、とか聞くことがありますが、私はそんなことはないです。一流だと、ここから落ちたら大変だという気持ちになるでしょう。私にはそれがないんです。二流だから、見る方に分かってもらえるドラマを書こうと努力してきました。・・・お店なんかも、気をつかうので一流のところは行きません。二流が一番楽です」。橋田の言葉から、戦争というものの残酷さが生々しく伝わってきます。
それぞれの原発や戦争に対する考え方、生きる上で大切にしていることが率直に語られている貴重なインタヴュー集です。