絵画のタイトルに騙されるな・・・【情熱的読書人間のないしょ話(977)】
シジュウカラがこちらを見ています。数百枚の年賀状を漸く書き終わりました。一枚ごとに、その人の顔を思い浮かべながら、宛て名を書いていくので、時間がかかります。このようなやり方で50年間続けてきた年賀状書きも、年齢を考慮して、今回で卒業することにしました。
閑話休題、『名画は嘘をつく』(木村泰司著、大和書房・ビジュアルだいわ文庫)は、絵画のタイトルに騙されるな、と注意を促しています。
レンブラント・ファン・レインの「夜警」は、「夜ではなく昼の場面を描いていた」というのです。「なぜ『夜警』などという通称が広まったのでしょうか。じつは、時間を経て表面のニスが褐色化した結果、夜の場面を描いたかのように映ってしまったからなのでした」。
ウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」について、「巨匠は『女神』を描いたわけではない」と、注意を促しています。「国旗となる三色旗を手に、人々を導いているのが自由の擬人像です。しかし、じつは正式なタイトルは『民衆を導く自由』であって『女神』ではありません。・・・彼女はフランスを象徴する『マリアンヌ』で、自由の象徴です」。
エドヴァルド・ムンクの「叫び」は、「叫んでいるのではなく、叫びから身を守っている」のだというではありませんか。「このタイトルの人物の表情から、多くの方が私同様にこの人物が叫んでいるのだと思われることでしょう。ところが、この人物が叫んでいるのではなく、ムンク自身が夕暮れどきに体験した『自然を貫く叫び』という幻影を表現したものだと知ったときには私も驚愕。人物も叫んでいるのではなく、耳をふさいで叫びから自分自身を守ろうとしているのだと知って、よりいっそう驚いたのでした」。
バーバラ・クラフトの「モーツァルトの肖像」は、こう説明されています。「この肖像画はクラフトがモーツァルトの死後に想像で描いたとのこと。どうりで何もインパクトがないはずです。死後に描かれた肖像画によくありがちなことです」。
ヨハネス・フェルメールの「牛乳を注ぐ女」は、「称賛の対象が絵の中にいない」というのです。「一見、雇い主に忠実なメイドの姿を称賛しているかのように映る作品です。しかし、じつは称賛されているのはこの家の主婦、すなわち雇い主である女主人です。当時、メイドの監督は主婦の大事な仕事でした。すなわち、『主婦の鑑(かがみ)』として女性の美徳を称賛している一枚なのでした」。