動物は「集中」「運動」の、植物は「分散」「適応」の戦略を選択した・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1146)】
さまざまな色合いのコスモスが咲き始めています。ナンテンが白い花をたくさん付けています。テッポウユリが白い花を咲かせています。ヒメヒオウギズイセンも頑張っています。コノテガシワが淡灰青色の球果を付けています。因みに、本日の歩数は10,492でした。
閑話休題、『植物は<未来>を知っている――9つの能力から芽生えるテクノロジー革命』(ステファノ・マンクーゾ著、久保耕司訳、NHK出版)は、植物の素晴らしい能力に我々も学ぶべきと主張しています。
植物の記憶力、繁殖力、擬態力、運動能力、動物を操る能力、分散化能力、美しき構造力、環境適応能力、資源の循環能力――が紹介されているが、とりわけ興味深いのは、自然界のインターネットともいうべき分散化能力です。
「植物は、10億年まえから4億年まえまでの期間に、動物とは正反対の決定をくだした。動物が、必要な栄養物を見つけるために移動することを選択したいっぽうで、植物は動かないことを選び、生存に必要なエネルギーを太陽から手に入れることにした。そして、捕食者や、地面に根づくことによる多くの制約に対抗するため、自らを適応させていったのだ。これは生やさしいことではない」。
「(植物と動物の構造の)もっとも大きなちがいは、植物は生物の基本的な機能をになう単一もしくは一対の臓器をもたないという点だ。地中に根を張った植物にとっては、捕食者の攻撃を生き延びることが大きな課題となる。動物とちがい、『逃げる』という行動ができないからだ。そのため、生き延びる唯一の方法は、捕食者に対して抵抗すること、つまり、捕食に屈しないこと。この奇跡を成し遂げるには、動物とはちがった体のつくりをしていなければならない。植物が生きていくには、明らかな弱点をもたないことが大切だ。臓器は弱点になる。もし、植物に脳や肝臓や一対の肺や腎臓があったら、最初に現れた捕食者に敗北する運命だっただろう。たとえそれが昆虫のような小さなものであっても、これらの急所のたった一つを攻撃されただけで、身体機能は損なわれてしまうのだから。だからこそ、植物は動物のような臓器をもっていない」。
「一般に植物は、動物が特定の臓器に集中させている機能を体じゅうに分散させている。植物のモットーは、この『分散化』にある。すでに、植物が体じゅうで呼吸して、体じゅうで見て、体じゅうで感じて、体じゅうで計算しているということはわかっている。どんな機能もできるかぎり分散させること。それが捕食者の攻撃から生き延びる唯一の方法なのである。・・・(動物の脳のような)指令センターをもたない分散型のモジュール構造をもち、各モジュールが協力し合って、くり返される捕食にも完璧に耐えることができる。トップダウンで指令を出すのではなく、『分散型』だという点で、植物はきわめて現代的であるといえよう」。動物は「集中」、植物は「分散」を選択したというのです。
「植物にとって、生息環境が寒くなったり暑くなったり、たとえ保証者であふれたとしても、動物のようなスピーディーな対応は、まったく意味がない。大切なのは、効果的な対決策を見つけることだ。つまり、暑さや寒さ、捕食者の出現にもかかわらず生き延びることができるような解決策である。この難しい課題にうまく対応するには、集中した構造より、分散型の組織構造のほうがはるかに望ましい。より革新的な対応ができ、文字どおり『根づく』ことで、環境をより正確にとらえる力が得られるからだ」。すなわち、動物は環境の変化に「運動」で、植物は「適応」で対応するという戦略を採用したわけです。
「植物の根は、典型的な分散型の非中心的システムで、相互に作用し合う無数のユニット(根端)で構成されている」。「インターネットのネットワーク構造図が、根系の構造ととてもよく似ているのは、同じ必要性に応えているからだ。つまり、指令センターのない分散されたシステムの必要性である」。
「国家、資料館、政治モデル、会社経営、機械、論理的な組織構成など、人間はあらゆるものを人間の身体構造にもとづいてつくりだそうとしがちだ。そのせいで私たちは、植物のような分散された構造と組織において発達するはずの、きわめて創造的で革新的な潜在力を引き出せずにいる。・・・ヒエラルキーにもとづき、少数の者が決定権をにぎっている組織は、どんなものであれ失敗する。とりわけ、革新的で多様な解決が必要とされる世界においては、そう考えると、人類の未来は、植物のモデルにもとづいてつくりだす以外にはありえないはずだ」。著者のこの主張は、いささか強引に見えるが、耳を傾ける価値があるのではないでしょうか。