岸見一郎が三木清の『人生論ノート』を読んで考えたこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1199)】
今晩は夜の昆虫観察会に参加しました。森の中で、紫外線ライトを照射し、垂直に張った大きな白布に走光性の昆虫を集めるライト・トラップという仕掛けを使います。ヤマトタマムシ、カブトムシの雌、ノコギリクワガタの雄、ノコギリカミキリ、アカアシオオアオカミキリ、コフキコガネ、カナブン、アオドウガネ、エサキモンキツノカメムシ、ハヤシノウマオイ、ニイニイゼミ、ヒグラシの雌、ヒグラシに寄生しているセミヤドリガの幼虫、サトキマダラヒカゲを観察することができました。遠くで花火が上がっています。因みに、本日の歩数は10,732でした。
閑話休題、『成功ではなく、幸福について語ろう』(岸見一郎著、幻冬舎)は、本来、若者向けに書かれたものですが、私たちも「幸福」を考えるヒントを得ることができます。
「三木清は、幸福感と幸福は違うといっています。例えば、薬を使ったり、あるいは、お酒を飲んで酩酊状態に陥り、気分がよくなるのは、幸福ではなく幸福感です」。
さらに、三木は、成功と幸福は違うと言っています。「成功することが幸福なのだと皆が思うようになると、幸福とは何か、真の幸福とは何かということを誰も考えなくなります。・・・三木は、『成功と幸福を、不成功と不幸を同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった』といっています。たしかに、そのあたりのところを私たちは無反省に受け入れていて、例えば、よい学校に入ってよい会社に入り、裕福になることが幸福だと考える人がいますが、三木はそれは成功であって、幸福ではないといっているのです」。
「幸福は存在に関わり、成功は過程に関わるということです。三木によれば、成功は進歩と同じく直線的な向上として考えられます。他方、幸福には本来、進歩というものがないということを指摘しています。幸福は存在だというのです。過程ではありません。今をこうしてここで生きていることが、そのままで幸福であるという意味です。どういうことかというと、幸福であるために何かを達成しなくてもいいということです。しかし、成功はそうではありません。よい学校に入らないといけない。そして、よい会社に入らないといけない。そういうことを達成しなければ成功したとはいえないと考え、成功と幸福を同一視している人にとっては、成功していない今は幸福ではないことになるわけです」。
「特に若い人にいいたいのは、今はこれからの人生の準備期間ではないということ。今はリハーサルではなく本番なのです。毎日毎日、やることをきちんとやっていけば、やがて試験の日がやってきて、受験がうまくいくかどうかはわからない。しかし、そうやって今日という日を今日という日のためだけに全力を尽くして生きていけば、いろいろなことが変わってくると思います。過去を振り返って後悔するのも、これからを考えて不安になるのもやめる。そうして生きていけばいいと思います」。
著者は、過去と未来を棚上げすることを勧めています。「人は『今ここで』幸福である、ということです。過去は存在しないのです。もしもあなたが幸福であることを望むのであれば、つまり自分が幸福である、ということに気づくためには、過去を手放すことが非常に大事になってくるのです。私たちは過去に囚われています。過去につらい経験をしたという人は多いと思いますが、そういうつらい過去は今はもう『ない』のだと諦めなければなりません。・・・それでは、未来はどうなのかというと、未来もありません。だから、まだ起こってないことについて不安になる必要はないのです。明日考えればいいことは多々あります。まだ起きていないことを今考えなくてよいのです。今日考えても仕方ないことは今日考えない、今日という日を今日という日のためだけに生きるのです。どうしても先のことを考えてしまうという人もいるでしょうが、これから先どうなるかは誰にもわかりません」。
幸福であるためにどうすべきかが、具体的に示されています。「私たちができることは、まず自分が幸福になることです。自分の幸福は鳥が歌うように外に現れ、その幸福は他の人を幸福にします。他方、不幸そうにしていたらその不幸は他の人に伝わります」。
「どうすれば幸福を表現できるでしょうか。三木はこんなことをいっています。『機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる』。・・・外に現れる幸福は、他の人を幸福にするのです。・・・あなた自身が今幸福になれば、もっといえば自分が幸福であるということに気づきそれを実現すれば、そのようなあなたの変化に伴ってまわりの人も自分が幸福であることに必ず気がつくことになるのです」。
気づきの多い一冊です。