被差別部落の人々の祖先は、呪的能力者であった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1226)】
直径が10cmもあるアサガオが咲いています。千葉・柏の東京大学柏キャンパス大気海洋研究所の一角にある「お魚倶楽部 はま」に立ち寄って昼食を取りました。回らない握り寿司は、評判どおり美味でした。因みに、本日の歩数は10,10,344でした。
閑話休題、『賎民と差別の起源――イチからエタへ』(筒井功著、河出書房新社)は、部落差別の根源に迫った力作だが、著者の主張は、呪的能力者たちが歴史的な転変を経て、差別されるに至ったというものです。
「呪的能力とは、例えば病気を治すとか、干天に雨を降らせるなどの特別な力のことである。一種の宗教的超能力ないしは、そうみなされている力だと言い換えることもできる。それをそなえている人に対して抱く恐れが、のちに差別に転化する、それが部落差別の根源であるとするのである。・・・(私の意見が他と異なるのは)現在、『穢多』なる言葉の語源については定説も有力な通説もないが、それを『イチ』という言葉と同語源だとする点である」。「イチ」とは、「神と人をつなぐ人」のことで、一種の宗教者だというのです。
「モガリは、生者に祟る(死んだばかりの者の)荒魂を、祖先神といえる和魂に昇華させる儀式である。典型的な呪的行為であったといえる。それゆえに、その儀式をつかさどる者が賎視の対象になったのである。おそらく、これが最初期の呪的能力者差別ではなかったか」。
「呪的能力者は、ずっと昔から両義的存在であった。神への祈りが通じたときには、まわりの者たちから破格の畏敬を受けられた。逆に、それがむなしく終われば、きびしい指弾が待っており、ときに死をまねいたのである。『神殺し』は、それを指した言葉であった。時代が下って神なる存在への絶対の信頼が揺らいでくるにしたがい、呪的能力者の地位は低くなる。それは失敗した場合の怒りというよりも、はなから彼らに抱く軽侮・賎視の感情に近づいていく。しかし、一方でなお呪的能力への期待は、そう急にはなくならない。このような状態のもとで、呪的能力者への両極の接し方が生まれたのだと思う。わたしはエタのもっとも基本的な性格は、この呪的能力者にあったと考えている。すなわち、エタ差別は上記の変遷とぴったり重なるとの立場である」。
「部落差別の起源を死の穢れ(死穢)と血の穢れ(血穢)への忌避に求める考え方があるが、それはエタや非人にはあてはまっても箕作り、猿まわし、渡し守などに対する差別は、それでは全く説明できないことになる」。そのとおりです。
「エタ」の語源は「イチ」の可能性が高いことについて。「●イチコ=口寄せなどを業としていた一種の巫女。祈り屋さん、●イタコ=東北地方における主に盲目の巫女、口寄せ、●イタカ=中・近世の資料に散見される下級の宗教者、●ユタ=沖縄・奄美地方の巫女、●イチ=神楽や湯立てにかかわった神社関係の女性。また、盲人の名に付ける言葉、●エテコウ=猿のこと。また、鹿児島県の一部では蛇を指した、●イタコウ=長野県の一部で墓の穴を掘る人、●イツドン=長崎県・五島で神楽を舞う者。上記のうちコ、カ、コウは『子』すなわち人といったほどの意味である。ドンは『西郷どん』などのドンであることは、いうまでもない。これらを除き、重複分を一つにすると、イチ・イタ・ユタ・エテ・イツが残る。そうして、エタ・ヨツ・ヤツの合わせて8語の音には重要な共通点があることに気づく。・・・つまり、もとは同語だった可能性がきわめて高いと思う。・・・音も語義も、お互いに近い関係にあれば、語源をひとしくすると考えることには合理的な理由がある。すなわち、エタとイチは本来、同語であり、エタ差別とはイチ(呪的能力者)差別にほかならない。これが、本書の結論になる」。
イチに関連して、座頭市が登場します。「盲人は、なぜ自らの名にイチを付けたのだろうか。もとは、世間が彼らをイチに近い存在だと考え、そう呼んだからに違いない。盲人は生まれながらにして、あるいは人生の途中で五感の一つを失っている。それによって、ほかの感覚がとぎすまされ、するどくなることは経験上、多くの者が知っていたろう。それを並はずれた能力だと感じ、イチの姿に重ねたのだと思われる」。
論証が合理的なので、説得力があります。