味わい深い禅語の書を前にすると、自分の器が大きくなったような気がする・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1352)】
初日の出を待つ間に、鳴き交わすカワラヒワの群れを見つけました。歩いて25分の成顕寺に初詣に行きました。モズの若鳥の撮影に夢中になっていたら、50mほど先の撮影助手(=女房)から、カワセミがいるわよ、と携帯電話。雄のカワセミです。因みに、本日の歩数は11,135でした。
閑話休題、『禅語の書100――作品づくりを楽しむ』(西村玉翠著、日貿出版社)には、禅宗の文献に書かれたり、禅の教えを表している「禅語」の書が満載です。
「和光同塵(わこうどうじん)<老子>――『和光』は才知の光を隠すことで『塵』は俗世間。すなわち才能や徳を隠して世俗に交じって慎み深く暮らすことです。大きい声で言った者勝ちのような風潮の今こそ、この生き方が求められるのではないでしょうか」。
「日日新又日新(ひびにあらた またひにあらた)<大学>――毎日毎日、新しい一日が始まります。その新しい一日は、前の日を引きずらない、まっさらの一日でありたいものです」。
「花見半開(はなははんかいをみる)<菜根譚>――満開ではなく半開きの花こそ味わい深いものです。続いて『酒は微醺を飲む(酒はほろ酔い気分で飲むのがよい)』と続きますが、何ごともほどほどが一番です。過ごしすぎには要注意。ご用心、ご用心」。ほろ酔い段階で止めておければ、いいのですが・・・。
「一枝梅花和雪香(いっしのばいか ゆきにわしてかんばし)<禅林句集>――百花に先がけて花開いた白梅に遅い雪が降り積もると、馥郁たる香りがいや増しに増します。何とも清々しい早春の風情です。梅花を通して身体全体で春を観じる歓びが、ここにはあります」。
「黙如雷(もくすること かみなりのごとし)<維摩経>――多弁は無用。多くの言葉を費やしても伝わらないことは、『沈黙』をもって伝えることができます。文殊簿作が釈迦の諸弟子に仏法を問うた際、維摩居士が黙って坐してそれにこたえ、文殊菩薩が讃歎したという故事による言葉です」。私の戒めとしたい言葉です。
「知足(たるをしる)<老子>――何の説明もいらない明解な教えですが、『そうだ、その通り』と納得しても、なかなか実践できない難しい教えでもあります。身の周りを見まわすと、『足るを知らざる』たくさんのものがありすぎませんか」。
「一日不作一日不食(いちじつなさざれば いちじつくらわず)<五燈会元>――高齢になった百丈懐海禅師が、弟子に『もう庭作業はおやめ下さい』といわれてこう答えました。これは『働かざる者食うべからず』ではなく、やるべきことをしなかった日は食事を取るに値しないという、当たり前ながら厳しい決意なのです」。心したい言葉です。
「日日是好日(にちにちこれこうじつ)<雲門文偃>――最もよく知られた禅語の一つでしょう。文字どおり『毎日毎日が素晴らしい』という意味です。雨の日も晴れの日も、風が吹く日も、どの日も同じくすばらしい一日であるはず。うれしい、つらいは人間側の問題にすぎないのですから」。
「是亦夢非亦夢(ぜもまたゆめ ひもまたゆめ)<沢庵宗彭>――是も非もあらず、この世はすべて、はかない夢だ、ということです。是非の判断や執着をすべて超え、名誉や富、悟りさえ忘れ去ったところにある『夢』という境地に生きることができればいいものを、という沢庵禅師の最期の教えです」。
「一期一會(いちごいちえ)<千利休>――生涯にたった一度きりの出会いという意味です。あなたとともにいるこの時間は、二度と繰り返されることのないかけがえのない時間です」。誰に会った時も、この精神で接したいものです。
黒々とした墨跡の味わい深い書を前にすると、自分の器が大きくなったような気がします。そういう快感を味わえる一冊です。