榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

久世光彦の独自な交遊人物論は、なんてったって面白い・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1895)】

【amazon 『「あの人」のこと』 カスタマーレビュー 2020年6月22日】 情熱的読書人間のないしょ話(1895)

ウズアジサイ、アロエが咲いています。ナワシロイチゴが実を付けています。

閑話休題、『あの人」のこと』(久世光彦著、河出書房新社)は、久世光彦の交遊を巡るエッセイ集です。

「桃井かおりのお尻の重さ」は、こう始まります。「わがまま言って泣き出したら、梃子でも動かないあのお尻の重さが好きです。ほどほどの所で手を打って、納得したような顔をしてみせる女優さんが多い中で、『なんか気持が悪い』というだけの理由で坐り込んでしまう、あの百姓女のようなだらしなさが、私は大好きです。それは私だって困ってしまいます。芝居が前へ進みません。稽古場は妙にしんとしてしまいます」。そして、こう結ばれています。「桃井かおりのお尻の重さは、この世の『嘘』への精一杯の抵抗だと思います。なりふり構わぬ筵旗のようなものです。たった一人の百姓一揆です。そしてあのきれいな笑いは、かおりがいつも探している『本当』への、心からの微笑だと思うのです」。

「岸部一徳」は、私の好きな俳優・岸部一徳の話です。「岸部一徳さんが、こんなにいい役者になろうとは思っていなかった。昭和五十年に私が撮った『悪魔のようなあいつ』というドラマに、ヤクザ者の役でテレビに出たのが芝居をやった最初だった。臆病でスローモーで、どんなに凄んでも怖くなかった。二十五年も昔の話である。ギター奏者としても一流だったのに、希林さんの知己を得てから芝居の面白さに目覚め、それでもゆっくりゆっくり階段を昇りつづけて、今日の『岸部一徳』になった。焦らないで、納得がいくまで動かないという、本人の性格通りの芝居のつくり方なのだ。だから地味で目立たないまま、しばらくはあまり売れなかった。それなのに当今の売れ方はどうだろう。映画にテレビにコマーシャルに、いなくてはならないキャラクターになってしまった。けれど、そんなに数はこなしていない。数は少ないが、一つ一つの役がユニークで印象に残るのだ。仕事の選び方は慎重である。納得するまでは、鉛のように重い腰なのだ」。

「砂金、掌に掬えば――なかにし礼」では、人物を見抜く久世の鋭い目が生きています。「恥を知る者だけが、詩を愛することができる。私のこれまでの人生は、数えきれない恥の数である。恥ずかしいことがあまりに多かったから、私はなかにし礼が好きなのである。・・・なかにし礼は、ある時期、自分の人生の恥を恐れもなく歌謡曲の詞の中に曝してみせた。だからその時期、彼は作詞家と言うよりは紛れもない詩人であった。・・・阿木燿子にも流れ星のように心を過る詩句が数多くあるが、阿木燿子のが天空から降って来た言葉だとすれば、なかにし礼のそれは汚れた恥の中から拾い上げた言葉である。同じ優しさと輝きを持っているようで原産地が違う。なかにし礼はどうしても恥辱の似合う詩人である」。

「臍曲がりの純情」では、妙な書名の本が登場します。「『年を歴た鰐の話』という妙な書名を耳にしたのは、山本夏彦翁と徳岡孝夫老の禅問答のような、ひそひそ話の中だった。・・・『年を歴た鰐の話』は伝説の書になった。いくつもの出版社が、復刊の許可を願い出たが、翁はニコニコ笑うだけで首を縦に振らない。・・・(山本は著書『私の岩波物語』の中で)高い志を抱きながら、卑俗の絵本に埋もれて死んだ桜井某を想って泣いているのである。――私は、ふと桜井という名に引っかかるものがあった。『年を歴た鰐の話』を本棚から抜き出して、奥付を開いてみた。――訳者・山本夏彦、発行者・桜井均、発行所・東京都小石川区大塚町三十三、桜井書店――この本の復刊に頷かなかったのは、偏屈な嫌味でもなく、意地悪でももちろんなく、翁の桜井某への敬意であり、哀憐であり、操だったのである。山本夏彦という人は、そういう人であった」。久世にここまで書かれては、『年を歴た鰐の話』を読まずに済ますわけにはいきません。早速、手に入れる手配をしました。