伊藤若冲が10年余りをかけて「動植綵絵」シリーズを描き上げたのは、なぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1907)】
アンスリウム・クラリネルビウムの葉、アンスリウム・アンドレアナムの仏炎苞、スパティフィラムの仏炎苞が目を惹きます。ハイビスカス、ウイキョウ(フェンネル)の花が咲いています。バナナが実を付けています。
閑話休題、『伊藤若冲――よみがえる天才』(辻惟雄著、ちくまプリマー新書)は、江戸時代の天才絵師・伊藤若冲の人物像と作品を理解するのに最適、最高の一冊です。
若冲と親しかった禅僧・大典顕常が記した『藤景和画記』では、子供時代の若冲は「勉強が嫌いで、字も下手で、世の中に技芸はいろいろあるけれど一つも身につけることがなかったと、ある意味さんざんな書かれ方をしています。何でもこなす器用さは持ち合わせていなかった上、歌舞音曲の類など、娯楽に関心を示すこともない、ある種の堅物だったことがうかがえます。しかし。絵については別でした。絵を熱心に描いて30年、ということですね。この文章が書かれたのは若冲が35歳(年齢は以下全て数え年)のときなので、字義通りにとると5歳から絵を描いていたということになります。しかしこれはあくまで、幼いときから絵が好きでよく描いていた、というぐらいの意味だと考えればよいでしょう」。
父の死を受けて、23歳で青物問屋の家督を相続するが、孤独癖、人嫌いという性格に悩んでいた若冲は、30歳代後半に大典と知り合います。「若冲という号を得てからは、僧侶のように頭を剃り、肉食を避け、まるで禁欲僧のような生活をしていたことも記されています。ただ、生涯独身を通したことについては、私には宗教的な理由だけだったとは思えません。『動植綵絵』の作品を見ても、女性に対する何らかのコンプレックスがあった可能性も否定はできないと思います。ただし、禁欲僧のようだったとはいえ、気難しく付き合いづらい人だったわけではなさそうで」す。
「若冲はある時点で、素人の趣味としてではなく、生涯の仕事として絵の道に精進していこうと決意しています。おそらくその具体的なきっかけとなったのは、相国寺の大典との交流によって、京都の寺院が所蔵する元・明の花鳥画に接する機会を持ち、そこで大きな感銘を受けたことだったのではないかと考えられます。大典を通して仏教に出会ったことで、絵画に生きる人生を遊ぶことになった、ということもできるかもしれません」。
40歳で家督を弟に譲って隠居した若冲は「不向きだった商売の世界を離れ、これで何ものにも邪魔されることなく、好きなだけ絵を描くことができるようになりました。現在でも40歳になって新しいことを始めることについて、『いまさら遅いのでは』とためらう人がいるかもしれません。しかし、彼が職業画家としての人生をスタートさせたのは、不惑の40歳のときでした。『人生50年』という意識がまだ一般的だった時代のことです。実際には若冲は85歳まで長生きしますが、残された年月がそれほど多くはないと思っていたからこそ、この先はやりたいことをやって生きるのだと、決断できたのかもしれません」。
「家業から解放された年の若冲の制作意欲はすさまじく、画業に専念できる喜びが見てとれます。・・・おそらくこのころの若冲の心のなかには、のちに彼の名声を不動のものとする30幅の連作『動植綵絵』の構想が、すでに生まれていたと考えられます。彼が『動植綵絵』の制作にとりかかったのは私の推定では42歳にあたる1757年の後半ですが、この時期に作品を量産しているのは、これから始める『動植綵絵』に向けた準備という意味もあったのではないかと思います。『動植綵絵』というのは、梅、芍薬、紫陽花、南天といった四季折々の植物から、昆虫、魚貝、それに若冲の得意とする鶏、雁、雀、想像上の鳥である鳳凰まで、非常に幅広いモチーフが、動植物曼荼羅ともいうべき細密かつ濃艶な彩色手法で描き出されているシリーズです。これらの作品には、明清の花鳥画から学んだ写実の技法や、動植物を観察して写生を重ねてきた経験が存分に生かされ、あたかも博物画のように克明に対象の細部まで描かれています。その半面、現実の世界には見られないような過剰な装飾性や幻想性も織り込まれ、写実とファンタジーが渾然一体となった、独特の魅力が醸し出されています。・・・彼はこれを1757年から10年余りかけて描き上げるのですが、40歳を過ぎた若冲は人生の残り時間を考え、ここで10年かけてでもライフワークとなるものを描いておきたいという気持ちになったのではないかと思います」。
私の最大の疑問は、若冲が、これほどの長い期間をかけ、信じられないほど厖大なエネルギーを注いで「動植綵絵」を描き上げたのは、なぜかということです。「彼は熱心な仏教徒であり、『動植綵絵』が家族と自身の供養のため、それに仏堂や仏像を荘厳にするためという宗教的な動機から描かれたものであることは、まず間違いないといえるでしょう」。
本書では、作品を描くに当たって、若冲が凝らした工夫や、積み重ねた修練の数々が、それぞれの作品に即して詳細に解説されているので、こういった面に関心を抱いている人には垂涎の書でしょう。