榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

井上ひさしの人物評価が的を射ているのは、なぜだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1957)】

【読書クラブ 本好きですか? 2020年8月23日号】 情熱的読書人間のないしょ話(1957)

コアオハナムグリがヒャクニチソウ(ジニア)の花粉を食べています。マリーゴールドがさまざまな色合いの花を咲かせています。

閑話休題、エッセイ集『小説をめぐって』(井上ひさし著、岩波書店)で、とりわけ興味深いのは、若尾文子、松本清張、吉村昭、丸谷才一、米原万里に関する文章です。

井上ひさしの自伝的青春小説『青葉繁れる』に登場するマドンナは若尾文子に違いない、井上は若尾に一目惚れだったに違いないと思い込んでいたのに、本書の「『若尾文子に間に合わなかった会』のこと」には、「昭和二十五年の四月に、わたしは宮城県立仙台第一高等学校というところへ入学した。この高校の近く、五分と離れて発見いないところに、宮城県立第二女子高等学校という女子高があって、わたしたちは登下校のたびに、この才媛たちとすれ違うのをたのしみにしていたものだが、この才媛の中に若尾さんがいたのだった。もっともわたしたちの入学したときはすでに、若尾さんは東京へ転出された痕だったが、噂はまだ全校に渦巻いていた。若尾さんに間に合っていた上級生たちは、よくこう語ってわたしたちを羨しがらせたものだ。『その女の子のきれいさといったら、もう、一分見ていると頭がぼーっとし、二分見ていると骨がとろけ、三分見ていると生命が危ないほどなんだぜ』。しばらくの間、わたしたちは上級生たちの話してくれる若尾さんの像で満足しているほかはなかったが、やがて、若尾さんが大映から銀幕にデビューすると、さっそく『若尾文子に間に合わなかった会』という大映映画の観賞会を作り、若尾さんの映画がかかると、会員全員うちそろって映画館へ繰り込んだ」とあるではありませんか。何だ、井上は間近で接した若尾に、ぼーっとなったのではなかったのだ。私がこれほど若尾に拘るのは、若い頃、一番好きな女優が、きりっとした若尾だったからです。

「『昭和史発掘』、史家への出発」は、こう結ばれています。「もちろん、松本清張は桁外れにすぐれた小説家であるが、じつは根気のいい史家でもあった。この『昭和史発掘』には、本格的な史家の方角へも向かいつつあった松本清張の、あふれるほどの熱量とたくさんの発見が、いまなおぶつぶつと煮えたぎっている」。井上の松本に対する尊敬の念がひしひしと伝わってきます。

「時代にこきつかわれた男――『間宮林蔵』吉村昭」には、間宮林蔵に対する同情が溢れています。「間宮林蔵はかわいそうな男である。・・・林蔵の後半生はもっとかわいそうである。日本近海に外国船がしきりに出没し、諸雄藩が密貿易に精を出していた江戸後期、林蔵は常人の二倍の脚力と広い知識を買われて、幕府隠密として全国を歩き回ったが、そのうちに『シーボルト事件の密告者』という汚名をなすりつけられることになる。・・・この汚名は現在も林蔵について回っている。けれども林蔵は幕吏の服務規程に忠実だっただけだった。作品後半では、この体制に忠実だった男の悲劇が、時代にこき使われた人間の悲しみが、吉村さん独特の無機質で素ッ気ない文章の隙間から劇しく吹き上げてくる」。

「四つの謎――丸谷才一著『思考のレッスン』」では、丸谷才一の秘密が明かされています。「四つ目の謎の解法は、この本によればこうである。多様なものの中に隠されている共通の型を発見する能力、それが人間の思考力というものである(これを筆者は仮に帰納的な考え方といっておこう)。丸谷さんはそう信じるがために、逆に、一つのことがらを押し拡げてくる思考法(演繹的な考え方、つまりイデオロギー的なもの)と生涯を賭けて戦っているのである。わたしもこの態度をわがものとしたいと考える」。

「導きの糸 (『米原万里、そしてロシア』に寄せて)」は、米原万里の生き方を的確に捉えています。「なにかコトにぶつかったときは、そのコトガラをまず正面からじっと見つめて、つぎに横から思案し、斜めから確かめ直し、さらには裏から検証して、考えるだけ考え抜いた末に、自分の意見をしっかりと築き、それからはもう大胆不敵に発言する、あるいは一心に書き綴る。これが米原万里さんのやり方でした。・・・自分の意見や知見をじかに露出せずに、風刺や皮肉や哄笑にくるんで、諧謔の精神をもって提示する。これも米原万里さんの方法でした」。

井上ひさしが書いたものには、何で、外れがないのだろう。